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文通のはじまり

最近友人と文通をしている。

数週間おきに手紙を送り合い近況報告をしたり、感じたことを書いたり。携帯電話という便利なツールがある今日において、なんて時間のかかるコミュニケーションなのだろう、と思う。でもそれ以上に文通の喜びを感じている。

そもそもなんで文通を始めたかと言うと、私が仕掛け人だった。

本か何かで「文通相手に選びたい人はいますか?」というフレーズがあって以来ずっと気になっていた。私が文通をしたい相手。しばらく考えて、一人の友人が思い浮かんだ。

迷うことはなく「あ。あの人」と即決した。急に手紙という原始的なコミュニケーションをとってもナチュラルに対応してくれそうで、むしろ喜び共に楽しんでくれそうと考えたからだった。

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文通を始めて最も嬉しかったのは「届く」ことだった。

私たちは生活するなかでたくさんの「届く」に触れている。例えばnoteをやっていればユーザーさんからスキが届くし、アマゾンで商品を注文すれば荷物が届く。たくさんの「届く」に囲まれている。

どんな「届く」も嬉しいけれど、特に文通の「届く」には驚きがある。

自分が手紙を出したことを忘れかけた頃に返事が来ると、特別なプレゼントをもらった気分になる。「わ!来たあ」とこっそり呟きにっこりする。

もらったプレゼントを何度も何度も見返すみたいに、もらった手紙は何度も読み返す。複数枚の手紙を永遠にスライドさせて何往復もして、封筒にしまって、暇なときまた出して同じことをする。

手紙ってばなんて濃いコミュニケーションなんだろうと感動した。言葉から相手の考えていることを何度も咀嚼して、顔と声をイメージして。タイムラインであっという間に消え去る軽々したコミュニケーションとは比べ物にならない。

そういう意味で、文通は想像力を豊かにしてくれると思う。相手の言葉に触れるたび、相手の顔を想像する。メールではそんなこと感じないのに。そういえばメールはチャットとして使っているから、大きな感情をさらけ出さない。考えたことがチャットの小さな窓枠には収まる気がしない。

手紙そのものが「届く」ことと、相手の深い言葉や思考が「届く」こと。どっちの「届く」も感じられる文通は、ずっと廃れないで欲しい文化。

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手紙を送る時、切手も必要だから切手にも敏感になった。

去年くらいまで郵便局に「世界の絵本シリーズ切手」があった。ぐりとぐら、星の王子さま、はらぺこあおむし、金魚はどこに、などなど人気の絵本のワンシーンが切手に早変わりしていた。

手紙は書くのも考えるのも送るのも手間と時間がかかるけど、それでも続けていきたいと思わせてくれる魅力あるコミュニケーションだと思っている。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。