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人間関係に思う均衡

人間関係は季節の変化のように移ろっていくものだと思う。

生活する場所、仕事する場所、考えていること、感じていること、など自分自身が一定ではないのだから、関わる人も変化するのが当然だろう。その都度、居心地が良い人を見つけては、時が来るまで縁を維持する。

ただ不思議なことに、家族のように関係性が全く変化しない人も数人いる。

そういう人とは、日々の愚痴やら、考え事やら、頻繁に何でも赤裸々に自己開示できる(このnoteも自分にとってはオープンな自己開示の場所であるが)。もう10年以上の付き合いだねえ、なんてたまには真面目に互いの存在を有り難がることもある。ちなみに全員同性で、その理由は、異性だとそれぞれの家族に余計な迷惑をかけることになるから。

新しい繋がりと従来からの繋がり、どちらの関係性が良いということではなくて、恐らく生きていくうえではどちらも重要なのだろう。

いずれのバランスもとっていけたらいい。そうすることで、困った時に色々な人の知恵を拝借できるようになる。

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移住すると「近くに友達がいなくて寂しいんじゃない?」と言われることが多い。

実は、そう言われるたびに「全然そんなことないけどな」と思っていた自分がいた。でも、湖畔への移住から一年半以上経った今、本当は寂しかったんだろうなと思うようになってきた。

それは恐らく、町に馴染んできて、知り合いもそこそこ増えて、自治体との接点もできて、少しは住民らしくなったからこそ分かる感覚なのかもしれない。先祖代々この土地で暮らしている人からすれば、一世代程度で慣れたとは言わせない、と怒られそうだけど……。

先日、気持ちがモヤモヤすることがあって、「今から会いませんか?」と、車で10分の所に住んでいるご近所さんに突然連絡した。二つ返事でOKと言ってくれた。

その後、30分もしないうちに我が家でお茶をしながら語っていて、なんて貴重な場面なんだろうと感じた。会いたい、話したい、と言ってすぐに来てくれる優しさとフットワークの軽さ。

ご近所さんとは最近出会ったばかりのはずなのに、裏表なく、赤裸々にペラペラゲラゲラお喋りができたのだった。こういうことがあると、移住当初に言われた「友達がいなくて寂しいんじゃない?」という質問にもイエスと答えられる気がしてくる。

確かに自分は無意識に寂しさを覚えていたのだな。

家族と同じくらい気心知れた人間関係を維持すると同時に、新しい人間関係も更新していくことで、知らない間に気持ちにゆとりが出来る。何人もかかりつけ医がいるイメージで、安心感が生まれる。

年齢を重ねれば新しい出会いが面倒になってくることも多い。人間関係は難しい。素敵な出会いもあれば、膿のような出会いもある。そういう見極めにだんだんお腹いっぱいになってきて、出会いそのものを避けるようになる。

それも確かにそうだけど、新しい繋がりと従来の繋がりの均衡を保つことで得られることもあるのだ。

決して新しい繋がりを無理矢理作る必要はないけれど、たまたま見つかった縁があるなら大切にしてもいいよね、という話。

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お茶のお供はネモフィラティーにした。見た目は真っ青だけど、添加物や着色料は使われていない。温暖な地域で育つバタフライピーというハーブが原材料となっている。

今後このブルーのお茶を見たときに、何かしら人間関係について考えたことがあったな、と思い出すことができたなら。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。