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家出して見えたユートピア

数日間家出をしていた。理由は夫婦喧嘩だった。

結婚して三年、過去二番目に大きな夫婦喧嘩をした。きっかけは育児方針ならぬ育ヤギ方針の違いだった。ヤギの件を発端に、日頃から溜まっていたストレスや不満を全てぶちまけた感じがある。

派手な言い争いをしたあと、気が付けば私は真っ暗な夜空のした、駅に向かって運転していた。もう遅い時間、実家に帰るにはギリギリ過ぎる時間だった。結局運よく電車のタイミングが合って、日付をまたいで懐かしい家に到着することができた。

どうしてこんなことになったのか。大粒の涙がこれでもかというほど落っこちる。目の下が、色鉛筆の群青色でぐるぐる塗られたみたいに黒ずんでいる。

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家出をしている間、起きた出来事を母に全て話し、涙を流し、ボーっとする、この繰り返しだった。それ以外のことをこなす余裕もなく、死人のようにただただ椅子に座って考え続けた。

いろいろなことを考えた。

なかでも一番考えたことは「もし夫と別れ、今の暮らしをやめたらどうなるんだろう」ということだった。

何時間も椅子に座って、黄ばんだ紙とペンを目の前に、私の頭のなかは悲しみ、怒り、苦しみ、後悔、さまざまな負の感情で満ち満ちていた。そうした時間が刻一刻と過ぎていくなかで、脳裏に焼き付いて離れない映像が流れ続けていることが分かった。

それが「毎夕、自宅の丘に登りヤギを放牧している時の風景」だった。

無邪気な姿で草をはみ続け、ときに駆け寄りじゃれてくる不思議な生き物。もうすぐ沈もうとしている太陽に照らされ、光り輝く湖。聞き慣れた車のドライブ音。ただいま、と言う夫にハグする私。

涙は「脳みその血液」と表現されたりするけれど、私はこの風景を思い出してどれだけの血を流したか分からない。ナイフで何度も突き刺され、切りつけられ、ぐちゃぐちゃになった傷口から止まらない血が噴き出していた。

ただ、その時ようやく気が付いた。

湖畔の古民家での生活は、自分のとってのユートピア(理想郷)であったのだと。

夫がいて、ヤギがいて、八百万の神々に見守られ、生かされてきた。どうしてこんなにも愛しい生活を手放す必要があるのだろうか。ないだろう、とはっきり分かった。私の家はユートピアなのだ。死んでいくときに後悔しない場所なのだ。

その後、夫とお互い大泣きし合いながら電話した。

私だけでなく、夫もたくさんの血を流していたことを知った。互いに大切なものを再認識することになった出来事だった。

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人は大切なことを忘れやすい生き物だ。当たり前にある場所、暮らし、居る人、少し離れてみればそれが「一番の幸せ」であったことに気が付くことがある。

数日間の家出を経て、私はいま大好きな湖畔の古民家へと静かに帰ってきた。

ヤギにただいまを言って小屋から放ち、丘へと向かった。家出をしている時に何度も頭をよぎった風景を見るために。今日が晴れていてよかった。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。