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暮らしの副産物

先日文通相手にこんなことを聞かれた。

「最近友達の結婚がうらやましく思えてしまう。さきちゃんは人と比べちゃう時どうしてる?」というものだった。

人と比較して落ち込んでしまった時の対処法、誰でも一度は悩んだことがありそうな問いかけで興味を持った。立ち止まって考えてみた。

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考えたことが2つあった。1つは田舎暮らしに関係すること、もう1つは田舎暮らしに関係しないことだった。

まず1つめ(田舎暮らしに関係しないこと)。

他人がうらやましいと思うのは「自分がその事柄について単純に未体験なだけである」ということが大きいのではと思った。

例えば今回の文通相手の悩みは友達の結婚だった。たぶんそれって自分が結婚しちゃうか、離婚経験でもあれば「うらやましい」感情は即座に消える。ただ単に未体験で未知な領域だから関心が高いだけであって。

他人の仕事を聞いて比較するのもこれに似ていると思う。仕事なんて数え切れないくらいの種類があって、すべてを経験できるわけではないのに他人の仕事を「うらやましい」と思う。この思考、ありがちな気がする。

その証拠に同じ仕事を経験した人と話すと、どこか親近感と安心感が湧かないだろうか。あるいはそれまで憧れていた仕事を経験した瞬間、以前のようなキラキラした印象は消えていて「あ。こんなもんか」と思わないだろうか。

人は得体のしれない未知の領域が怖くて、不安で、心配で、比べるんだと思う。とってもデリケート。

でも未知な領域があるってことは、逆に言えば未来もあるってことで、よほど気になるなら「ふうん。やってみれば?」となる。結婚がうらやましく思うのなら、結婚して結婚を経験済み(ハンコペタッ)になってしまえばいい。そうすれば不安もなくなる。

そして2つめ(田舎暮らしに関係すること)。

湖畔へ引越してきてから人と比較することが激減した。

なんでかな?と考えたときに思い付いたのは、人の少なさだった。町を歩いていたり、買い物をしていてもそんなに人がいないし、いてもご年配の方が多くて、目に入らない。

都市部に住んでいると、電車内、通勤路でたくさんの人にもみくちゃにされると思う。実際昔の自分がそうだったし。人人人人人人のなかに自分がいるわけで、無意識のうちに他人が気になってしまいそう。

つまりいい意味で「自分しか見えなくなる」というのが田舎暮らしだ。正確には「生き物」はよく見ている。ただ、生き物たちは見ているがベラベラお喋りしないし静かで見ていて優しい気持ちになる。最近はカエルとよく見つめ合う。

もちろんSNSをやっていれば全国津々浦々の人たちの行動が見えてしまうけれど、SNSなんてのは自分の使い方次第でどうにでもなる。嫌いなSNSはやらなければいいし、気が進まない人はフォローしなければいい。義務を負っているわけじゃない。

ちなみにうちのお隣さんは携帯電話を持っていない。いつもニコニコ幸せそうだし、神父さんみたいで魅力的だ。

田舎暮らしは自分の心の声を聞きやすい環境にあるから、人と比べやすい人にはいいかもしれない。

いつか携帯電話を捨てることをひそかな目標にしている(あ。でも緊急事態のときに困るから格安で電話とショートメッセージだけできる機械があると嬉しい)。

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文通相手に大方こんな内容で返事をした。

他人と自分の比較は何歳になっても付きまとうテーマかもしれない。でも、少しずつそんな呪縛を解いてくれている暮らしがやっぱり好きだなと思う。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。