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一粒の蜜柑

うちには今、山のように蜜柑がある。

なんでそんなに蜜柑があるのか。実は、近隣にお住まいの方が自宅の庭で、たくさんの蜜柑を育てていて、先日みかん狩りをさせてくれたのだった。

「コンテナ持って、うちに来な?」

優しい表情で誘ってくれた。夫と私は喜んでお邪魔することにした。

蜜柑畑には、立派な蜜柑の木が何本も植わっていて、いつ見てもうっとりしてしまう。おまけにそこからは湖がよく見える、というプレミアム付き。

蜜柑には実が小さいもの、大きいもの、皮が薄いもの、分厚いもの、いろいろな種類がある。畑のいっかくには鬼柚子と言って、人のこぶしよりもずっと大きな柚子の木も。マーマレードにしたり、床の間に飾ったりする。

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そんなわけで家に蜜柑がたくさんあるから、毎朝頬張っている。そしてある日、いつものように蜜柑を食べていた時に、ふと気が付いたことがある。

「蜜柑って一粒ずつ食べるとめちゃくちゃ美味しい」

……?一粒ずつ食べるのが普通じゃないの?という感じだけれども、最近は蜜柑が大量にあることを言い訳におうちゃくして、一気に3、4粒ずつくらい食べる習慣がついてしまっていた。

たまたま「もっと蜜柑をじっくり味わうにはどうしたらいいだろう?」と考えた日があって、その時はなぜか一粒ずつ丁寧に食べたのだった(これが普通だけど、自分にとっては普通じゃなかった)。

一粒の蜜柑の美味しさと言ったらもう。表現のしようがないくらい、美味な果実に思えた。薄皮からジュバッと弾け出る果汁、舌に広がる甘味、鼻を抜ける酸味、口の中に残った薄皮の余韻。

すべてのバランスが整っていた。

自然界はそれが分かっていて、わざわざ一粒ずつ薄皮に包まれるようになったのだろうか。どうして最高なバランスの具合を知っているのかな。

蜜柑は「最も美味しい食べ方」を明確に分かりやすく教えてくれているというのに、今まで何をやっていたんだろう。なんで一粒ずつ食べなかったんだ!と欲張りな自分を戒めた。

物事には流れに逆らわず従った方がいいことがある、そう教わった気がする。

無理して欲張ってはいけない。小さくても、少なくても、きっとそこには何か理由がある。摂理を無理に変えたりしない。自然なかたちで、自然なタイミングで、そうやって生きていれば物事は、するするとうまくいくと思う。

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もともと手足の色が黄色い方なのだけれども、冬になると余計に濃くなる気がする。まさか蜜柑の食べすぎで?と気にはなるけど、小さい頃からだから、生まれつきのものと理解している。

顔や体は普通に白っぽいから、本当に部分的に(手のひらと足裏だけ)黄色っぽい。変なの。みんなそれぞれ気になる自分の体の特徴ってあるよね。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。