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読書感想文: 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

これです!

ものすごく発見があり1ページごとにうなずく本でした。

アート、サイエンス、クラフト (by ミンツバーグ)

ミンツバーグによると、経営とはアート、サイエンス、クラフトが混じり合ったものなんだそうです。

アート:
組織の創造性を後押しし、社会の展望を直感し、ビジョンを生み出す
サイエンス:
体系的な分析や評価を通じてビジョンに裏付けを与える
クラフト:
経験や知識をもとにビジョンを現実化するための実行力を生み出す

この3つの関係性についてはこの記事がわかりやすかったです。

ではなぜ美意識を鍛えるかというと、このアートの部分を強化するためです。

アートと知的パフォーマンスに関係性があることは研究の結果でわかっており、例えば

  • ノーベル賞受賞者と一般的な人を比較したとき、ノーベル賞受賞者はなんらかの芸術的趣味を保持している確率が2.8倍も高い

  • 医大生に対してアートを用いた観察力のトレーニングを実施したところ、皮膚病の診断能力が56%向上した

などです。
このような研究結果から、MBAの代わりに英国のロイヤルカレッジオブアートへエグゼクティブが参加することが増えているんだそうなんです。

自分の直感や感情を信じられるか

絵画を使った観察トレーニングであるVTS (Visual Thinking Strategy) についての紹介がこの本の中にあるのですが、ここでは絵画を見ながら絵画に何が見えるか、この絵画の中では何が起こっていて次に何が起こるか、自分がそれに対して何を思ったか、考えたかを話し合うんだそうです。

ここでは絵画に対する「正しい解釈」「一般的な解釈」は特に必要なく、自分が何に気がついたかが話し合えればOKなんです。

でもこれ難しくないですか?
自分の直感とか、特に感情とか、肯定できますか?

そもそも日本人は自分の感じたことを表現するトレーニングを積んでいないんです。

これは別の本、しかもマンガなのですが、

アンガーマネジメントのコミックエッセイです。
この本のタイトルになっている「夫」である野田さんは、自分の感情と、それがなぜ発生したのかをうまく分析できていないので対処できず、感じたストレスを切れることで逃しているんです。

分析をしたカウンセラーの方のコラムにもありますが、「男の子はどうせ話さないから」とのご家族の思い込みから、日々あったことを細かく聞かれなかったりしますよね。それが原因で自分の感じたことを言語化する訓練ができていないことが多いようで、子供の頃のことを詳しく話せなかったり、あるいは自分の感じたことを説明できなかったり (その前段として理解できていなかったり) ということがあるようです。

あるいは性別によらず親から感情を見せることを否定されたご家庭もあるんじゃないでしょうか。
そうなると自分の感情そのものにフタをしてしまいますよね。

という状況で自分が絵に対して感じたことを表現しろ!って難しくないですか?

ただこの自分が感じたことを意識的に把握することが訓練されていないと、組織に対してただ単に従うだけの人になってしまう。

この本ではいくつかの日本の企業の不正の事例とともに、わかりやすい事例としてナチスドイツのアイヒマンの例が語られています。
アイヒマンは虐殺を主導したことで有名ですが、戦後捕まって裁判にかけられた時「自分は命令に従っただけ」だから無罪を主張しました。

人道的にそれは通らないなと思われたのではないでしょうか。
ここが「アート」の働きによるものです。

感情とか自分の意見とかは完全に無視できるものではない

昔学生の時にどこまで感情を排除できるかいろんなものでなぜなぜ分析をしてみたことがあります。
なぜなら世の中のさまざまな意見の中には感情を理論でコーティングしているようなものがあることに気がついたので、これを完全に排除したらどうなるんだろう、と思ったことがあったからです。

この時のお題の一つに、「人を殺してはいけない」「盗んではいけない」などは感情以外に根拠があるか、がありました。

法律的な根拠はあるのですが、そもそも法律に取り上げようとした元の理由ってなんでしょうね。

憲法、人権、さかのぼっていくとやっぱり「自分がされたくないから」という感情にたどり着くんです。

そこまで来た時に感情を完全に否定することはできないんだな、危険だなと思ったんですよね。
それから、善悪、価値観などをコミュニティで合意可能にする基盤となるのが哲学とか宗教とかの領域であり、これは必須だなと思いました。

自分が感情など根拠を説明できないものを肯定できるようになったのはそこからです。

人権とか憲法で保障するものとかって時代で変わりますよね。
極端にいうとハムラビ法典などは、そもそも人の間に貴族や奴隷などの階級があり、階級ごとに刑罰が違いますから、人の重みづけが違ったといえます。従って法律とは普遍的な何かでは全くなく、その時代その文化を共有する人たちの間での合意事項だと思っています。

合意事項である以上状況が変われば法律も憲法も人権も変わるんです。その時のためにアンテナをはっておくことは悪くないと思います。

心当たりがあったらまずは音楽を聴くとか、絵を見て好き勝手表現してみるとか、答えのないものに取り組んでみてはいかがでしょうか。


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