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以上! …なのか?

とうとうがん告知から10年がたち、「がんサバイバー」として定期健診を受けることから解放されました。

いわゆる「寛解」というらしいですが、病院の先生はこの言葉を使わず、「卒業」と言っていました。

がんは「全快」、「完治」、「治癒」とは言わないらしいです。

がん細胞がいつ、むくむくと起きだして、私たちの身体をむしばんでいくかわからない、その可能性はゼロではないから、とかいう理由。

でも、以前読んで、変な感想文まで書いちゃった西加奈子先生の『くもをさがす』では「キャンサーフリー」という単語を使っていました。

いや、そもそもがん細胞なんて、日々多かれ少なかれ私たちの身体に生成され、そしてNK細胞とやらに淘汰されているんでしょう。


なので、厳密に言えば「キャンサーフリー」なんてことはあり得ないのかもしれぬ。
しかしまあ、そこは気の持ちよう。

ゆえに「寛解」という言葉を選んでいるのかもしれないです。
忖度みたいな感じだろうか。
日本人らしいな。

とはいえ、気分的にはがんからの解放、という意味ではまさに『フリー』なのかも?
またも答えにならない答え。


HIVがこの世に出てきて大問題になったとき、

「それでも、エイズ(HIV)の方ががんよりも早く特効薬が見つかるはず」

という噂が流れました。

そんなもんかねえ?と子供心に思いましたが、何より今やHIVは患者数も少なくなり、そして確かに、特効薬と呼べるようなものも近年出てきたと聞きました。
ホンマかいなすごいなぁ。

しかし、それくらいがんは難しい病気なんでしょう…。
「がんに効く!」と言う謳い文句はまさに1000%の怪しさ。
カルロストシキもオメガトライブもびっくり(違)。

罹ってはみたものの、市井の人間にはまったくわかりません。
でも、体のどこにでも生じるこの病気、本当に恐るべき存在です。
がんの研究をしてくださっている全世界の医療機関やラボのみなさん、本当にありがとうございます。


ギャルも小学生に進学し、いろんな転換がありましたが、なんとか日々暮らせています。
乳がんになった時、こどもを産むことは半ばあきらめつつも、ワンチャン…とあきらめきれない思いも持っていました。

そこは、結構楽天的かつ短絡的な考えでしたが、周囲のおかげ、そして自分が自分のために生きることを選択したおかげで、なんとかギャルに出会うことができました。

彼女を産んだことで、自己肯定感は爆上がりしました。

「ママかわいい」

「ママシワシワじゃないよ」

「ママ大好き」

屈託なくまっすぐな瞳で答えるこの言葉に、何度赤面しながらもうれしく思ったか。

こんなにまっすぐ私のことを愛してくれた人は、他にいないのではないかと思っています。

(いや親に感謝せえ)


そのうちどんどん生意気になって(すでに生意気ですが)、反抗されて、「キライ」とかたくさん言われると思います。

またこどもを産まなくても、きっと良い人生が送れたに違いないとは思っています。

けれど、こどもが生まれてきてくれて、いや、産ませていただいて、本当に感謝しかありません。

今のところ、「アタシいつママのことキライになるのかなあ?」とつぶやいているギャルさんです。

うん、キライじゃなくてもウザくなるんだよ。
親っていつまでも自分のこどもが赤ちゃんのつもりでお世話したくなっちゃうから。きっとね。

ママのことキライになってもいいから、心身共に健康でいてくれ。

いままで、何かに没頭するほどにハマっても、飽きっぽい性格が災いして、長続きしませんでした。

しかし、こどもという「最推し」ができたことは、ワタシの人生にたくさんの色どりを与えてくれています。

そして、その「最推し」はまったく飽きることがない、という。。。
いや、飽きたら人命にかかわる。
その辺はおそらく本能かと。

さらには、「ともだち」という、他にも素晴らしいキャラを引き連れてきてくれるので、まさに「箱推し」状態。

毎日鼻血出すような感じで、貧血でぶっ倒れそうです。

なんという幸福。
どんなに課金しても惜しみない(いや家計が苦しいわ)。

どんどん難しい年ごろになって、いろんな面倒が出てくると思います。
だけど、彼女が生きてさえいてくれれば、なんにもいらないと心から思える。
この幸せは本当に感謝してもしつくせないです。

けれど。
忘れられない、毎日のように繰り返し考えて苦しくなるのです。

自分が死んでしまったら。
この子が死んでしまったら。

お互いの死や、どちらかが残されたときの妄想を。

あの日、あの診察室で乳腺外科の医師からがん宣告されたときと同じく、死ぬことがいまだに怖いのです。

ワタシの心の底は、ヘドロでドロドロしています。
死にたくないけど、無駄に長くも生きたくない。

いくら年齢を重ねても、こどものころからあるこの感覚は、ずーっと中二病のように患っているなあ、と感じます。

不妊治療も中途半端で、なんだか拍子抜けな感じで妊娠してしまいましたが、限られた予算と時間の中で、できるだけのことはやっておこう、と思って始めました。

とはいえ、はじめ方がものすごくやらされた感満載で、本当に世の不妊治療をやっている方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
やらされたとは思ってないのですが、あまりにも他力本願過ぎる。
マジであの時の婦人科の先生方ありがとうございました。苦笑。

結構不妊治療の検査なんかも楽しくやれた気がします。

病院でぶっ倒れたけど。

まあ、これもここに書くことで気持ちを浄化できたってもんです。

病院で具合悪くなった時には、今後二度と言いなりにならずにダダをこねて具合が悪いことを決意表明したいと思います。なんちゃって。

この話、最後に行けば行くほど尻つぼみでどんどんつまらなくなってきたな、とも感じています。
苦笑。
だってど頭のがん告知が一番のハイライトだもん。

でもあんなドラマチックなことはもういやです。
後の余生は静かに楽しく生きていきたいです。


万が一再発したら今度はリアルタイムで書こうと思います。
なので、このnoteは消さずに、ずっと取っておこうと思って、闘病記としてマガジンにまとめさせていただきました

なので、この話はココで一旦おしまいです。

たまに保守点検的に確認して、なんかネタがあったら追記します。


そして、とうとう「卒業」から1年たったのでメディカルチェックの時期がやってきました!

Googleカレンダーは間違えることなく通知をくれました。

けれど…。

その通知が来て一週間以上たっても、ブレストの予約をいれられませんでした。

ダメじゃん自分!!!!
ああもう。ダメ人間は完治も寛解もしません。
こうやってがんだったことをすっかり忘れて生きてしまうんでしょうか。

いまや、さらっと乳がんだったこととか話せるようになりました。
ことさら乳がんだったことを言うつもりもないのですが。

とにもかくにも、がんは早期発見、早期治療でいくらでも楽しく生きることができるんだなあ、と思っています。

思い描いていた人生設計は変わるかもしれません。
いや、めちゃくちゃ変わります。
でもそもそも人生何が起こるかわからない。

なんの自覚症状もなかったのに急に「余命半年」と言われるかもしれない。
普通に道を歩いていただけなのに、急に暴走した車が突っ込んでくるかもしれない。
雷が落ちて、使っていたPCから感電しちゃうかもしれない。


イヤな妄想はいくらでもできる。


計画なんて思い通りに行くわけがないので、如何に幸せを感じて生きていけるか、なのかなと、今は感じています。

イヤな妄想が容易くできるのと同じくらい、楽しい妄想もたくさんできる。
だから、ワタシは優しくて楽しい妄想をしながら、それを現実世界にすこーしずつ落とし込んで、どんどん幸せを積み上げたいと思います。

とりあえず、忘れていた卒業後のメディカルチェックの予約を入れてきたので、がんばって行ってきます。

以上がワタシの10年エスプレッソでした。
苦かったかな?
ダブルショット?

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

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