見出し画像

羊水検査、そして再びの転院

羊水検査の何が怖かったかって、

・検査可能な時期
・針
・検査でわかる事実

の3点でした。

3つ目は当然、それを知るためにやるんであって、覚悟して挑みました。

前の2つは、本当に身体的な負担でとても嫌でした。

妊娠15週~18週目で検査可能とのこと。
そして妊娠中絶手術を受けられるのは、21週目まで。

この、状況が判明した後すぐに中絶をするかどうか迫られる、そして実行するまでの時間が無いことに、かなり動揺しました。

さらに、高齢のレッテルを貼られた妊婦だったので、もう一度子供を妊娠できるとは、まったく思えませんでした。

ワタシの妊娠は生涯これきりなのだと、なんとなく漠然とした気持ちがありました。

針をおなかに刺すことも、怖かったです。
乳がんの針生検を思い出して、ビビりました。

もし、羊水検査のタグでたどり着いた男性のみなさん。

妊娠出産は女しかできません。
だけど、男性にもできることがあります。

パートナーに寄り添ってあげてください。
不安な気持ちを聞いてあげるだけでいいです。
話聞くのめんどくさいとか思わないで。

これを読んでいる男性の方が、もしもいたら、ぜひお願いします(まあ、あんまりいないなw)。

そして妊娠されていて羊水検査をお考えの方、本当に検査が必要かをパートナーとよく話し合ってください。

うちの旦那は、寄り添う技術があんまりないので、ワタシは一人で悶々と悩んでいました。

でも、結局検査は受けました。

これは旦那の強い希望でしたが、最終的にはワタシが検査を受けると決めた、と思っています。

今回は、そんなころのお話です。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


とにかく人生初の妊娠は不安だった。

みんなそういうものなのだろうか。

ホルモンバランスの変化でダウナーになっているだけなのか。

わからないが、とにかく不安を抱えながら、でもなんとか妊娠を継続出来ていた(帯状疱疹になったけど)。

そういえば妊娠判明後、不妊外来から有無を言わさず通常?の産婦人科へ移された。

この病院で子供を産むということだ。

なんというか運命じみたものを感じた。

乳がんになった時、母親になれるかもしれない、なんて1mmも思えなかったのに。

「すけっちさんは、うちで全部診させてもらいますね」

と、産婦人科医に言われ、「ん?どういうこと?」と思って聞いてみると、どうやら普通(?)の妊婦は近隣にある産婦人科のクリニックで健診を受けるのだそうだ。

「ハイリスクで管理が必要な妊婦さんは大学病院の設備があるうちで、経過が順調な妊婦さんは、街のクリニックで診てもらって、連携しているんです」

「すけっちさんは、昔うちで手術もされていますし、うちで全部診ます」

そうか。
ワタシってハイリスクなんだ。

当たり前だが、おかしなことに忘れていた。

どうしてなんだろう。たった2~3年程度しか経っていないのに、手術をした日々が遠く感じていた。

ましてや年齢的にも高齢出産だ。
当たり前すぎた。
それくらい、ワタシの状態は良好だったのだ。

妊娠できるほどに、身も心も安定していたんだ。

そして、妊娠の状態もとても良好だった。
ああ、なんてありがたい。

ありがたみと言うと、もう一つ驚いたことがあった。

妊婦健診に加え、出生前診断のカウンセリングなど、病院に通う日々だったが、狭い待合で、毎回のようにこんな会話が聞こえた。

妊婦さん「ここで産みたいんです」
病院職員「予約がいっぱいなので他を当たってください」

…マジか。

想像していなかった。
妊娠しても産む場所がないなんて。

人の話を盗み聞くつもりがないが、パーテーションで仕切られているだけなので、マジで聞きたくなくても聞こえてくるこの押し問答。

びっくりするほど何度も聞いた。

(そしてノイキャンヘッドフォンでもして耳をふさぐことも考えたが、とにかく待合で待たされるので、呼ばれる名前を聞き逃したくなくて、それもできない)

持病のおかげ?と言っては何だが、ワタシはとんとん拍子で話が進みすぎた。

普通や通常って言葉、簡単に使うけどぜんぜん普通じゃなかった。

乳がんになって以降、本当に感謝することが増えた。

大げさに言えば、息を吸って吐けることにすら感謝できるくらいにはなっていた。

生きているだけで、多くの助けが必要だ。
その分、人を助けていく。

見返りは基本求めないように、でもギブアンドテイクで生きていけるといいな、と思う。

しかし、元より人から舐められやすい気質のようで、ずーっと奉仕し続ける羽目になることが多い。

そうすると、けしごむのようにすり減る。

凹む。

やさぐれる。

でも、病気以降ありがたいことにいろんな助けをもらうことが多くなったと思う。
やさぐれた分、貯金が貯まっただけなのか?
それとも、感謝をすることで、助けの手が戻ってきているだけだろうか。

貯金じゃないと良いな。
すぐに使い果たしてしまいそうだ。

あのみんなに聞こえるような筒抜けのブースで、病院とバトルを繰り広げていた妊婦さんたち。

きっとみんな今頃、幸せになっているだろう。

そうであってほしい。
そうじゃないとやるせない。

こんな日本で、若い女性がこども産んで育てよう、と思ってくれているんだから。

そしてせめてパートナー(こどもの父親)がその女性たちに寄り添っていますように、と願った。


そして、羊水検査の日はやってきた。

説明では、エコーをしながらお腹に注射器を刺して、羊水を取るとのこと。

稀にこの検査で流産するリスクもあるが、その場合はたいてい陽性だったりするとか。

流産するということ、イコール、それまでだったということ。

怖い。

検査場所はLDR室。
出産するときに使う、分娩室にもなる病棟の一室だ。

…何かあったら、すぐに対応できるようにってことなんだろうか。
そんな心の準備出来てなかったな。

近くの部屋では、まさにもうすぐ産まれそうで、うなったり叫んだりしている人の声が聞こえる。

わああ、こんな感じなのか…。

人の営みが、人生の始まりが、壁を隔てた向こう側で行われている奇跡に少しビビりつつ感動していた。

ワタシも、あと半年以内にここで叫びまくることができるのだろうか。

それとも、今すぐここで何か起こったりして。
なんていう悪い妄想をかき消す。

ナースと医師がやってきた。

「それじゃあすけっちさん始めますね」

なぜか付き添いで来てくれた旦那だったが、

「ご主人は出てくださいね」と、せっかく来たのに追い出される。

苦笑。

まあ、邪魔だよな。
何かあっても困るし。
人にぶっとい針ぶっ刺すわけだし。

いよいよ、エコーでお腹のこどもを確認しながら、注射器の針を刺す位置を探す。

…。

子供の全体像を、ここで初めてエコーで見た。

いままでは「なんか物体が映っている」ようにしか見えなかったのだが、初めて全身を見た。

正直驚いた。
当然なのだが、もう、人のかたちだった。

ああ、自分のこどもがここにいるんだ。

そう思ってうれしいような、かなしいような、何とも言えない、泣きたい気分になった。

ダメだ、絶対この子を産みたい。会いたい。

確実にこのとき覚悟が決まったと思う。
どんな子であろうと、産んで育てる。
今回の結果は、この子を産む前の準備として知る必要がある。

絶対に無駄にはしない。

検査は滞りなく完了した。

「2週間後に結果が出ます」
と言われ、その予約を取って帰宅した。

旦那には密かな決意を伝えずに、結果を待った。

そして、その日は来た。
旦那もなぜかその時も病院に付いてきた。
一応当事者意識があってすばらしい。


陰性だった。


うれしい、というよりも、体中の力が全部抜けて行って、椅子から転げ落ちるかと思った(妊婦が落ちたらダメ)。

旦那はのんきに性別を聞いて歓喜している。
女の子だった。

そうか、君はギャルなのか。
腹の子にそう心の中でワタシは語りかけていた。

この子も乳がんになったらどうしよう。
気をつけなきゃ。
まっさきに思った。

さて、日々はまた過ぎていき、乳腺の診察がやってきた。

出産前最後の乳腺外科の診察だ。
先生の異動から2年強だろうか。

ららぽーとやホームセンターを数回楽しみつつ、子供ができたことを伝えつつ、数回目の診察時にまた、新たな告白を執刀医から受けた。

「あの、すけっちさん実は…C市の病院に異動になることになりまして」

は?

あれ?前も同じようなことがあったような気が??

「C病院にもブレストセンターができまして、そっちに異動になるんです、来月から」

はああああああああああああああああああああああああああ?!

ワタシのららぽーと人生は約2年ちょっとで終了した。涙。

先生の異動という一大イベントに、2度も付き合うことになってしまった。

先生も盛大に苦笑いをしながら「B(今いるところ)は近所だったんですけどね…また1時間くらいかけてCまで通勤しなくちゃいけなくて…A(最初の手術した病院)よりもはるかに遠くて…」

…それはお気の毒。

もはやアタシは3か月に1回だからいいけど…ねえ?

しかし将来を嘱望される先生なのだ。
栄転に次ぐ栄転なのだろう。
凄いことだ。

そんな素晴らしい先生に執刀してもらえたなんてありがたい。
今もきっと十分偉い先生だけど、これからもっと偉くなるのかな。

…診察費上がったらどうしよう(心配するとこそこか)。

先生もそのうち偉くなったら、あんなふうになるのかな。

「〇〇教授の回診です」

…また再び『白い巨塔』の妄想をしながら、もろもろ問題ないことを確認し、次は、出産後半年たってから診察することになった。

また例のふしぎな慣例の紹介状を出してもらい、出産をした後、別の場所、C病院で会う約束をした。

そう、先生に次回会う時、ワタシは、なにも問題なければ母になれるのだ。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


先日久しぶりにららぽーとに遊びに行ったら、迷ってしまいました。

普段道に迷うことなんてほぼ無いのですが、当時なかった建物が立ち、新たにエリアが拡大していることに最初気が付かず、間違ったところに来たのかと焦りました。

が、すぐ見覚えのある場所に到着し、ああ、ここは当時と変わらないなあ、と安心しました。

当然ですが商業施設なので、入っているお店も数年でがらりと変わっていて、違う場所のよう。

でも病院はまだちゃんとあったし(なくなるわけない)、通ってたホームセンターもあったし、見覚えのある場所はたくさん残っていました。

いつかまた来たときは、またびっくりするくらい変わっているかもしれません。

ちなみに、結果が陰性だったからかもしれませんが、検査に後悔していません。

でも、同時期に妊娠したほぼ同年代の知り合いは「検査を受けずに出産する」と決めました。

それにはとても尊敬の念を抱きました。

どんな決意も素晴らしい、と思いたいです。


※病院とのやり取りや説明など、うる覚え過ぎる&ある程度の脚色が入っております。何かご自身のお体にご不安がある場合は、ここを鵜呑みにせず、専門の医療機関に問い合わせることを、強くおすすめします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?