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希望の見つけ方

2020年4月から、現在、筆を取っているのが2022年8月、2年以上の月日が経った。マスクをすることが推奨され、度重なる緊急事態宣言、営業の自粛、実質規制、そして紛争とは言えない規模の戦争も起き、驚くくらいに世を取り巻く状況が一変した。

私自身も、今までと同じ事が出来ない状況の中、今現在は当時はほとんど思ってもいなかった事を、手がけたりと変化してきた。
2020年4月に急逝したパートナーはこの様変わりした世界を最初しか知らない。
普通に混雑した飲み屋で呑んだり、満員電車に揺られたり、マスクをすることなんか、せいぜい2、3ヶ月と思っていた事だと思う。その前の年末にはライブハウスに普通にライブ見に行っていたし、とにかくこんなに分断された世の中になるなんて思ってもいないまま、亡くなった。ある意味ニューワールドを知らず、いや、幸いこの不自由さを存分に味わうこともなくイチ抜けしたのかも知れない。

私自身は、2年以上も時間が経ち表面上は平静を取り戻したように思う。ただ、このニューワールドなので今出来る事をするだけであって正直どこまで生きたら良いか全然展望も無く熱くなる事も本当の意味では中々呼び覚まされずとどうした物かと日々思っている。

8月6日
毎年この日は意識する事が多い。
ふと、ある漫画が目に入って読んでみた、「この世界の片隅に」という漫画。
この漫画の中の台詞で、「生きていようが、死んでいようが、もう会えない人が居て、自分しか持って居ないそれについての記憶がある。私はその記憶の器として、この世にあり続けるしかない」※方言の表現などは変えて書いています。
とあり、何かこのシーンを読んだ瞬間、急に今までつかえていた物が少しスッとする感覚があった。
そう、今まで心の底で思って居たのは相手しか知らない私との思い出や私しか知らない相手との思い出の記憶。

これは一体どうなってしまうんだ?17年間のこの時間は無駄になってしまうのか?当時より歳を取った自分が振り出しからやり直さないといけないのかと発狂しそうなくらいの葛藤から少しだけ私自身を楽にしてくれた。

記憶の器としてこの世にあり続ける。
もしかしたら、他の誰かが私についてを記憶の器として書き留めておいてくれるかも知れない。
こういった連鎖で人はまた引き継がれて行くのかも知れない。
そうして紡いで行った、先には何があるのか?何の意味も無いかも知れない。
でも少なくとも、希望はあるかも知れない。

差し当たってこれが今の俺の希望の見つけ方。

では。

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