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祈る心は人それぞれ

先日、妻の御位牌も届き、御位牌自体もあまり暗くならない様な素材を選んで個人的には良い物が出来上がったと思う😏。

そうして、法名を義父側にもお伝えし、先方も御位牌を作られるとのことで特に気にしていなかったのだが、、、

直近、お会いした時に、、御位牌の最後に位号を付けたいと言われた。。。ええ、、、ん? 自分自身も特には気にしていなかったが、仏教には各宗派があり、宗派によって、法名(戒名)の付け方にルールがあり基本的にはそれに従った付け方をするとの事。妻の法名は、付けて戴いた宗派のルールでは位号(信女、大姉等。)は付けない宗派であったので、その旨を説明したのだが、自分の家で祈る分には関係ないからと言われ、宗派も異なるのでそれに合わせたいと言われ、、。

最終的には、その件については関知しないのでどうぞ。とお伝えした。

※後ほど、ググってみたら、どうしてもという考えで付ける方はいるらしいとの事。

最終的には、なぜ関知しないと決めたかと思ったというと、義父の家の仏壇をまじまじと見た時に、既に恐らく2つ?の宗派の仏具?が混在しており、話の旨の中で、元々の家の宗派と、義父が良しとしている宗派が異なるという事をその時に初めて聞きその中で、自分の心のままに遣りたいだけなのかなと思い関知しない事に決めた。

それは、自分自身もそうであり、(実際、実家の宗派と今回の宗派は異なる)形に囚われて揉めたり、押し付けあっても世話無いからである。個人的には、宗教全般は学問的な側面があると思うし、否定も肯定もないかと思う。

大切な人、モノに対する気持ち、

祈りを持ち続けれればそれでね。。。

死を持って失うことは悲しい。けど、もっと悲しい事をわざわざする必要もないかと思う。

少なくとも、愛あるものは。

答えは出ないかも。

だから、人間はそれらの救いのシステムを作ったのだろう。

うむむ。

では。


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