価値観の押し付けが悪である理由

・人の自由な発想、考え方やその人にとっての健全な価値観の発育を阻害する要因になりうる。
・絶対的に正しいとされる価値観というものが今日に至るまで存在しないがために、価値観の押しつけを正当性を証明することがそもそも難しい。
・人間関係に著しい歪みに影響をもたらす。価値観の押しつけをする人間は人の話を聞かないことだったり、自分の価値観の正当性を証明するために人の価値観を否定するなどのあらゆる人間に対して厄介とされる特徴を持つため。
・子供の教育に対してあまりにも大きな悪影響を及ぼす。価値観の押しつけを行う親の子はやはり価値観の押しつけをするよう発育するのである。前述の通り価値観の押しつけをする人間は容認されないので、承認欲求が満たされず子供のような心を持ったまま体だけが成長し、社会に溶け込めずに孤独に過したり犯罪を起こしたりという未来に直結しかねない。
・死ななくても良かった人間が死んできた歴史がある。人と違う考え方を持ち、それを世に発信しただけで異端者とみなされ処刑された人間が数え切れないほど存在する。信仰の違いによる戦争や、ナチス・ドイツのユダヤ人の迫害はその際たる者である。そのようなことを繰り返さないためそもそも人はそれぞれ価値観や考え方が違って当然ということを互いに理解し合う必要がある。
・価値観や思想の画一というもののメリットといえば政府が国民を、会社が社員をコントロールしやすくなるというもの等を筆頭に自分にとってのメリットがほとんど無い。まるで肉屋を応援する豚。また、同じ価値観を持つもの同士のコミュニティの結束や絆は固いものであるなどと言うが、自分たちと違った価値観を少しでも口にしただけで崩れるような絆が固いものであると言えるのかは疑問。
・頭が悪そうに見える。自分の価値観の正しさを分かりやすく伝わるように説明できるなら大丈夫かもしれないが、価値観の押しつけをしている時点でそもそも自分のやっていることがどれだけ他人に迷惑をかけているかということに気づけないようなあまり頭が良いとは言えない方達であるので自分の考えを理路整然と説明出来ずに会話が詰まったりで多くの人に頭が悪いと思われる。ただ、頭が悪いと思われること自体はそんなに悪いことではない。むしろ、そのおかげで愛される人間もいるくらいだ。ただし、この場合単純に知能の問題を露呈するのみならず、面倒な人間、関わりなくない人間という印象だったりのマイナスブランディングでしかない。
・誹謗中傷をするようになる。自分にとって不都合な人間に対して人格否定をするようになる。自分の考えの正当性を保つために相手に対しての攻撃という形で自分の中のアイデンティティが揺らぐことを恐れそのような行動に至る。愚の骨頂。社会問題の塊。
・会話が難しい。人から聞いた話や自分の感想を事実のように話す。なので、事実と違うことを話すことがしばしばで、それは違うよと否定すると、お前が間違ってる等と猛攻撃。ソースを見せても認めない。ネットワークビジネスをやっている人に多いが、自分のやっている活動を営業活動だと認めない人間が多い。「俺たちは仲間を増やしているだけだ!等の主張をするが、商品を他者に紹介し、それをその人が買ったらその売上の一部がそのビジネスマンに支払われる仕組みを営業と呼ぶのだが、そもそもそれを知らないし、自分の考えが絶対正しいと思っていることが多い。
・幸せになれない。人生とは他人と過ごせた方が幸福度が高い。しかし価値観を押しつける人は煙たがられるので中々良い人間関係が構築できないので幸せとは言えない人生を歩むことになる。
・逆に迫害される。情報化社会によりこれまでの日本のような画一された価値観のみで生きるという基盤が崩れつつあるが為に、そのような人間は今後逆に迫害される可能性が高い。

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