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文字を書くのが好きな理由

昔から、なんとなく思い浮かんだ文字を
ひたすらに書き連ねることが好きだ。
文章にもならない単語の羅列。
特に意味はなく、「書く」ということだけが
目的のその行為。
書道が得意だとかそういうことではなくて、
たぶん上手下手に関係なく、自分の書く字が
好きなのだと思う。

そう気付いたのは学生を終える頃だった。

※今回はどう考えても長くなりそうなので
   初めて目次をつけての段落分けを
   してみようと思います。
   良ければお付き合い下さい。

好きの迷子

まずは、大学2年を終える春休み。
怪我と人間関係の拗れが重なり部活を辞め、
ずっと大好きだった踊ることを辞めた時期。
自分の長所だと思って生きてきた部分が
全て裏目に出て、悉く自信を失った。

そんな時にふと
私の好きなことってなんだっけ
自分の好きがわからなくなった。

好きだったはずの踊ることすら
理由はともあれ、私には続けられなくて
苦痛な時間に変わっていて。
自分が何より好きだと思っていたことを
自ら捨てる胸の痛みが大きすぎて。


トドメを刺したのは、たまたまDVDを借りて
観た「羊と鋼の森」のこの台詞。

「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。」

もう何も言えなかった。
ただただ涙が止まらなかったのを覚えている。

私の好きってなんだろう。

その疑問が離れなくなっていた。


就活で自分と向き合う

自信というものを失ったまま迎えた就活期。

立ちはだかるは、履歴書に書かざるを得ない
自己PRや趣味·特技。

長所ってなんだ?
人様にPR出来るようなことってなんだ?

正直、頭を抱えた。

そんな就活期、次のような旨の情報を聞き
一度考えてみることにした。

·人の本当に好きなことというのは
 実は幼少期から変わらない
·自分の日常に溶け込んでいることこそ
 他人と違う自分の特色だったりする。

だいぶうろ覚えなので引用元は不明だし
ざっくりこんな旨のことという話なのだが、
自分の中で昔から続いている行動を
振り返って考えた時、たった一つ
思い当たったこと。
それが、文字を書くことだった。

文字を書くことだけは何があっても
アナログ派。
自分の手で書くということに
無駄なこだわりがあった。
なぜ私はこんなに固執するのだろうか。

手書きにこだわる理由

テスト勉強は基本ノートづくりから。
(まぁこれは、良くない勉強法だと各所で
耳にするのだが。笑)
スポーツをしていた頃の反省ノート。
何よりのストレス発散は
誰にも見せることのない
自分だけの吐露ノート。

私の周りには色んな役割を持った
たくさんのノートがあった。

なんで私はこんなに文字を書くんだろうか。
ふと、気付いたことがある。

私、自分の文字にだけは
よく分からないけど自信がある。

こんなにも、何に対しても
自信をなくしているというのに。
こんな状況ですら、文字を書くことにだけは
何故だか自信があった。

その正体はなんなんだろうか。

謎の自信の正体

それは、これまでの人生の中で
誰かに褒めてもらった記憶の蓄積だった。

そして何より、一番認めて欲しかった人に
唯一褒められたこと
だった。

何をしても、全力を尽くしたとしても
足りないと言われ続けて育った幼少期。
誰よりも認めて欲しかった存在である母親。
その母親が唯一、一言の貶しもなく
私を褒めてくれたこと。

「あんたはほんと、綺麗な字を書くね。」

たった一言。

それだけのことと思われるかもしれないが、
自分の記憶を遡ってこの言葉に辿り着いた時
私は不覚にも、一人で泣いた。
それぐらい私にとっては嬉しい一言だった。

その他にも、
私のノートは見やすくて分かりやすいと
言ってくれた友人。
私、あなたの書く字が好きなんだよねと
言ってくれた友人。

自分の書いた字を認めてくれた人達の
顔ばかりが浮かんできて。

そうか、これが自信なのかと理解した。

誰かが自分を認めてくれる。
それがどんなに力になるかを思い知った。

文字を書くことを
誰かが認めてくれてよかった。
おかげで私は今も、文字を書くことが
好きでいられる。自信を持っていられる。

そしてそこから派生して
言葉が好きになり、
文が好きになり、
今、こうしてここで
自ら文章を書くようになっている。

たった一言、されど一言。
その言葉が積もり積もって誰かの自信に
なっていくというのなら、出し惜しみせず
プラスな気持ちを伝えていきたい。


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