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趣味を問われるのが、ずっと苦手だった。

初対面の人との会話の切り口として、
自己紹介として、よく投げかけられる
“趣味は何ですか?”の問い。
私はそれがずっと苦手だった。

好奇心、好きなモノは人並みに
いや、人並み以上にたくさんあると自負している。はずなのだが、いざ趣味は?と問われ
言葉にして答えるとなんだかどれもしっくりこない。
「音楽を聴くこと、ラジオを聴くこと、映画を観ること、本を読むこと」
どれも在り来りでつまらない。
趣味なんてそんなものなのかもしれないが、
投げられた問いに対する答えとして
回答者である自分が一番納得いかないのだ。

それは何故なのか。

思い当たることは2つ。
好きなモノがありすぎること。
そして、好きだと言うのに自信が無いこと。

好きに自信など必要ないのかもしれない。
「下手の横好き」という言葉もあるくらいなのだから。
それでも私には、変なプライドというのか
強い思い込みがあったのだろう。
好きなことには詳しくなければいけない、と。

音楽が好きだと言っても、楽器は弾けない。
コードだとかなんだとか、何も分からない。

ラジオだって、いつも聴いている訳では無いし、なんなら好きだったのは学生時代に聴いていた特定の番組だ。

映画や本だってそう。レンタルショップや本屋でたまたま表紙買い(借り)したものに嵌って、同じ作家を読み倒しただとか、その程度。名だたる文豪たちの名作はほとんど読んだことがないし、受賞作と呼ばれる作品たちもそんなに読んだことがない。

それが自信のなさの所以だった。
でも、こうして振り返ることで気がついたことがある。

私は多分、媒体は何であれ“コトバ”が好きなのだ。

どれもこれもピンと来なかった正体。
それは“好き”の核心を表せないもどかしさ
なのではないか。

音楽を聴くのもラジオを聴くのも、
映画を観るのも本を読むのも、
いつだって一番それらを求めるのは
自分の心が苦しくて
縋るものを探している時だった。
心の拠り所にできる、そんな“コトバ”を探すための行動だった。

私は“コトバ”が好き。

それは、趣味は何か?という問いの答えとしては不相応なのかもしれないし、求められているものではないかもしれない。
それでも、私の中ではすごくしっくりきた。

私は“コトバ”が好き。
そう胸を張って言えるようになりたい。

好きなものを好きと、言えるようになりたい。


今こうして長々と書き連ねている文章でさえ、世に出すことを恥じらう気持ちで押し潰されそうになっている。
でも、私は自分の“好き”に自信を持ちたいと思った。
そして、ずっと心の奥底で“憧れ”という形で抑え込んできた“表現したい”という気持ち。
それに向き合ってみたいと思った。

今まで色々な方法で“表現”を試みたけれど、
結局私にとって一番大切で、大好きなもの。
それは言葉を使った表現だと思うから。

しばし、この拙い文章を世に晒してみてもいいのかもしれないと思うことにする。

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