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「そばかす」おとぎ話を書き替えていく

今日も私の推しグループINIのフェンファンが観たと紹介してくれた映画の話。

あらすじ

物⼼ついた頃から「恋愛が何なのかわからないし、いつまで経ってもそんな感情が湧いてこない」⾃分に不安を抱きながらも、マイペースで⽣きてきた蘇畑佳純(そばた・かすみ)は 30 歳になった。⼤学では⾳楽の道を志すも挫折し、現在は地元に戻りコールセンターで苦情対応に追われる。妹の結婚・妊娠もあり、⺟から頻繁に「恋⼈いないの?」「作る努⼒をしなさい!」とプレッシャーをかけられる毎⽇。ついには無断でお⾒合いをセッティングされる始末。しかし、そのお⾒合いの席で、佳純は結婚よりも友達付き合いを望む男性と出会う…

Filmarks

三浦透子が演じる主人公の蘇畑佳純は恋愛感情や性的欲求を持たない「アロマンティック・アセクシャル」。
アロマアセクの登場人物が出てくるドラマ「恋せぬふたり」「モアザンワーズ」を見ていたので、個人的にはそこまでテーマとして目新しくはない印象だった。けれど、私が最初に「恋せぬふたり」でアロマアセクという言葉を知ったように、この映画で初めて知る人もきっといるはずで、こうやってエンタメ作品を通じて、認知が広がることがまずは大切なんだと思う。

「そばかす」というタイトルは、主人公の蘇畑佳純の略だが、そばかすというコンプレックスにも個性にもなるものを表しているのだろうか。恋愛至上主義の社会の中で、恋愛感情がないことに引け目を感じてしまう一方で、それは佳純のアイデンティティでもある。

⚠️⚠️⚠️ネタバレ⚠️⚠️⚠️

男女の友情は続かない?

映画の中で佳純が最初に出会うのは、親にセッティングされたお見合い相手の木暮。たまたま通っているラーメン屋の従業員だったことや、お互いが今は恋愛や結婚を考えられないということから気の合う友達となる。
木暮は佳純のことを好きになるが、佳純には恋愛感情がないと伝えたことで関係が終わってしまう。片方が恋愛感情を持つことによって、友情関係が壊れてしまう。

結局友情より恋愛優先?

次に出会うのが、あっちゃんが演じる中学校時代の同級生の真帆。佳純に恋愛感情がないことを知っても、そのまま受け入れて、御伽噺のシンデレラの時代遅れな価値観なんて書き換えたら良いと提案する。佳純はやっと自分のことを分かってくれる人に出会えたと思い、ふたりで住む計画を立てるが、真帆は元カレと復縁して結婚することになり離れて行ってしまう。
これもよくある話で、女性同士で片方に彼氏が出来たり結婚すると、疎遠になってしまう。

男女であれ、女同士であれ、理解者かもしれないと期待した後で、離れて行ってしまうのはとても切ない。単純に相手と一緒にいることが楽しくて関係性を続けたいと望んでいても、勝手にいつも恋愛が絡んできて、その途端に周りが離れていく。

おとぎ話の価値観をアップデート

恋愛感情がないという理解されにくい状況でありながら、佳純は孤独で塞ぎ込んでもいないし悲壮感もない。明るくて仕事もしっかりしていて、家族ともちゃんと会話するし、しっかり人間関係を築いて、楽しく過ごしている。たった1つ、他人への恋愛感情がない、ということだけで、佳純が「普通じゃない」と扱われてしまうのはやっぱりおかしいよな、と思わせる。

私たちの世代は、シンデレラを読んで育ち、王子様に出会ってHappily ever afterを刷り込まれてきた。何年か前まで、私もこの価値観に縛られていた。
社会や親や知り合いに縛られるのも辛いが、何より自分で自分を縛っていたと思う。そして、おとぎ話の展開が、正解でも幸せでもないことに気付いてからは、少し自由になれた気がした。
ここ数年で、同性愛に対する偏見はだいぶ少なくなったのではないだろうか。ただ、アロマアセクの認知度はまだ低い。恋愛感情がない、性的欲求がないと聞くと、「まだそういう人に出逢ってないだけなんじゃないか」と思われることが多いと思う。だけど、これから先のことを確信できないのはみんな同じだと思う。それなら、私たちは当事者の全てを理解出来なくても、「そうなんだ。」とそのまま受け止め、愛さない選択肢を尊重して、inclusiveであることが大切だと思う。

分かってくれる人がどこかにいること

3人目は最後に出会う北村匠海が演じる同僚の天藤。天藤とは、2人でいても、恋愛の話をせずに宇宙戦争のトムクルーズの走り方の話をしていられた。天藤は佳純が作ったシンデレラの紙芝居を読んでいて、「同じことを考えている人がいる、それだけで良いと思った」と言う。お互いがお互いにとって、やっと見つけた同志だった。

そして、走り出す佳純の映像で映画は終わる。

どういう偶然か繋がりか、同時期に上映されてる「ケイコ 目を澄ませて」も主人公が走り出すところで終わる。心の中のもやもやを自分なりに納得して、受け止めて、前を向いて走り出す。ひとりで進むとき、この世界のどこかに、気持ちをわかってくれてる人がいることはとても心強い。

エンドロールは三浦透子が歌う「風になれ」。
爽やかで透明感があって、最後の佳純のように風をきって走りたくなるような楽曲だ。

恋愛以外の話をしよう

アロマアセクではない私でも、恋愛するのが当然と思われることに窮屈さを感じるのだから、そもそもその感情がない人にとって、居心地の悪さはどれほどだろう。飲み会で、職場で、女子会で、彼氏や彼女の有無、どんな人がタイプで、どんな恋愛をしてきたか、結婚しないのか、子供は作らないのか…よくある会話だ。好きな映画の話より、恋愛の話をしたがる世間とはこれからも付き合っていかないといけない。
だけど、当然みたいに恋愛の話をせず、私たちはもっと恋愛以外の話をしよう。その人が大好きなものの話をもっとしよう。

2023/2/19





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