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もう22歳か、、、


10/6で22歳になりました。

せっかくのいい節目なので、これまでの1年間とこれからの1年間について、つらつらと書いてみようかと思います。

寮でのサプライズ

21歳の1年間、何をしてきたかといわれてもイマイチピンとこない。
とにかく色んな場所で色んな人と色んな活動をした記憶だけはある。
今まで生きてきた22年間で1番長かった1年ではあったと思う。

長かった21歳

2021年10月~12月

アウトプットが多すぎた。
MDC、ジャンプフェスティバル、USFなどスポーツイベントを作りにいった
めっちゃ泣いた時期でもありました。決して苦しくて泣いたわけではなくて、スポーツの魅力を理論だけではなくて、自分の心で、肌で感じて、良くわからない感情の中で自然と涙が出ていた。スポーツの世界で生きていこうって心に決めた時期でもあります。
でも授業や練習もあってずっと時間と戦っていたイメージ

MDC Final Tokyo 2021


2022年1月~3月

ゆっくりと時間をすごしながらも、2021年に経験したことをひたすら思考して、言語化していった。書籍や文献、論文も人生で1番読んでた時期です。
絶対に人には見せないですけど、この時の自分が言語化したものは、今でも読み返すし、きっと一生の自分の財産になる。自分の見たい世界が、ぼんやりとでも見えてきた。
授業も終わって、APUに来ることも決まったので陸上競技からも離れて、
ボーーっとながら、頭だけは思考し続けてた時期

スポーツへの思考を繰り返した2月


2022年4月~6月

スポーツから離れて、会う人、学び、環境、思考、すべてに幅を求めた
APUに来て、自分の知らない世界しかなかった。
全部に足を運んで、直接自分の五感で感じ取りにいった。
同じ人間なのかと思うこともあったし、なんでそう考えるのかまったくわからないこともあった。
こういう人たちに対して、スポーツってどういう役割があるんだろうとも考えた。でもわからなかった。
でも社会にとっては、僕の方がマイノリティなのかもしれないとも感じた

APUの愉快な仲間たち


2022年7月~9月

日本中のスポーツをやって、見て、つくった
旅をしながら、生きることを第一優先にしながら、日本中のスポーツに関わり続けた。プロスポーツから市民スポーツ、スポーツビジネスから学校スポーツまで、実際にプレーして、見て、聞いて、つくった。
生存力?みたいなものは身についたし、周りの目もこれまで以上に気にしなくなったし、図々しくなった。

3ヶ月に及ぶ、スポーツに触れるひとり旅スタ-ト

俺、どうなるんだろう

同年代の人は、自分のキャリアプランを決めて選択した人も多い年齢です。
これからどうすんねん?って話ですよね。
結局はキャリアって自分自身という商品をどう売っていくかだと思ってます。
自分をどんなコンテンツにして、どんなプロモーションの仕方で、だれに売っていくのか。どんなブランドで、どう差別化していくのか。
そういう普通の商売と何ら変わらないのではないかと思うようになりました

日本のスポーツって?

そんな考えの中、1つの感じている点があります。
それは、スポーツの世界では、競技者であることがものすごく大きなブランドだということです。

上を目指す競技者として活動しなくなってから、ちょうど1年くらいです。
本気で競技をしていたときに出会った人と競技をしなくなってから出会った人では、反応が大きく違うなとは感じてました。
トップアスリートでも現役のうちに何かを始めるのか、引退してから始めるのでは注目度は大きく違う。
日本でのスポーツはすごく特殊な世界です。
まだまだ、上を目指す競技者であること、上を目指した競技者であることが最も大きなブランドになり得るのが日本のスポーツです。

さぁ、走ろう!

こんな理由もありながらもう1回走ろうと思います

もちろん、仲間と一緒に大学ラストシーズンを戦いたい、最後の青春してみたいっていうのも、もう一度走り始める大きな理由です。
でも、スポーツでのキャリアを考えている人間が、なぜ競技で上を目指す環境があるのに競技をやらなくていいと考えたのか、1年前の自分は何を考えていたんだろう。(時間に追われすぎていて、キャパオーバーだったのは間違いないので、競技を辞める理由を探していたのかもしれないな)

競技者であるだけなら、いくらでも同じ人がいる。
どう差別化していくの?
スポーツでキャリアを形成する。
多様なスポーツをプレーして、見て、作ってきた。
面白いスポーツの在り方、考え方も現場から学んだ、考えた。

僕の今のブランドってこのくらいだと思うんですよね。
もう少しパンチのあるブランドがほしいです。

「海外の大学で競技者として上を目指して戦ってきた」

もう1度走ると決意した瞬間

海外を見て、初めて日本が見えてくる。僕はずっと言ってます。
でも海外のスポーツを外から見るだけでは不十分に感じる。
自分が海外のスポーツの内側に入って、見て、感じて、生の声を出す。
それって1番解像度が高くて、リアルなことが知れるのではないかと思う。

スポーツを外から学ぶためやスポーツを学問として学ぶための留学はたくさんあるし、文化やその他の学問を学ぶために留学をする人はAPUからでもたくさんいる。
でも、競技をやるために、海外のスポーツを内側から見るために大学へ留学する人なんて多くはない。加えて、僕にはこれまでに作ってきた自身のブランドがある。
これが、僕が唯一無二の人間になるロードマップだと思う。

海外の大学で競技者として勝負してきた経験を持って帰ってきたいですね

なぜ今走るんだ?

僕にとって、22歳というのは、もう1つ大きな意味があります。
先天性心疾患の経過観察からの解放です。

13歳で発見された心疾患、身体が成長しきる20歳まで、保険で22歳までは悪化する可能性があり、検査を続けていました。
幸いにも、悪化の兆候はなく、治療は必要ない
無理は禁物だけど、これでやっと思う存分走れます!

22歳、学生スポーツとしては十分におじさんだけど、再出発します!

再出発の宣言


自分の帰る場所

最後に、誕生日に家族から送られてきたLINEを紹介

父、母「この1年は、スポーツばっかで遊んでないで、ふらふらしないで、まともな人間になってください」
ワイ「もう一回走り始めるんだ。それと、もうまともな人間からは3歩くらい横道に逸れちゃった。たぶん1年後にはもう10歩くらい逸れてる」

この後、僕はいつも通りに親の逆鱗に触れて、怒られました。

でも、僕はきっと面白い世界を見て帰ってくる。
だから、2人にはいつでも僕が帰ってこれる場所でいてほしいな。。。

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