小記事|表現することについてのぼんやりゴト
モニターやノートと向き合ったりしながら、頭のどこかで器用に(あるいは不器用に)ぼんやりと考えていることがある。表現の方法について。もしくは自分が表現する、というそのものについて…。
当たり前、本当に当たり前なのだけど、「伝えるべきことが自分の中に【自発的に】あるから、文章として形にできるし、または絵を描いて形にできる」。
言葉でも、図形でも、彩色でも、写真でも、立体でも…
自発的な何かがあれば、あとは"手段"をどれにするかだけ。何かを伝えるのに、言ってしまえば手段はどれを選んでも良いのだ。
"何か"の内容によっては、どの手段が「より効果的」であるとか、もしくは組み合わせた方が良いとかは、あるだろうけれど。"何か"次第で、それが伝われば、手段の可能性はいくらでもあるのだ。
「けれど自分には絵筆で描く力はない」「カメラの技術を習得していくつもりはない」そういう事情は、もちろんそれぞれ。そのうえで、じゃあ、"何か"をどうやって伝えようか?
◇◇
やっぱりどうしても、「表現って"何か"ありき」だよなあ、と行きついてしまうのでした。
いや、それを言うと、「【伝えるべきことがないということを表現する】とああなるだろう」と、どこかで村上春樹が評価していた(彼は称賛しているのです)、佐々木マキさんのような、唯一無二の表現の形もあるのだろうけど…
(こちらの記事内で作品を簡単に紹介しています)。
ーーーーー表現、ってーーーーー。
最近、向き合うことが多くなったから、そんなことをいろいろと、考えていたのでした。
伝えたいことと、伝える方法と。
sao
ありがとうございます!幸せな表現ができるよう精進します*.。*