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朝4時、文章について考える。

眠れないので文章を書いている。といっても、昨日、一昨日とほぼ寝ていたので、そのせいだなとは思っている。あくびは出るし、ほんのり眠気もあるのだが、眠るのに飽きたというか、寝て夢を見ることに飽きたというか、そういった心持ち。

皆さまは眠れないときどうしているのだろう?
お気に入りのお茶を飲んだり、スマホとにらめっこしたり、本を読んだり、選択肢はいろいろあると思う。

眠れないのだし、後回しにしている雑務や、勉強に手をつけてもいいけれど、一度文章を書き始めてしまうと、ある程度までは書き切ってしまいたくなる。

なんとなくnoteに書いた自分の文章を見かえす。なんだろう、恥ずかしくなるというか、うん、恥ずかしい。ここ最近の文章を見かえすことはまだできるのに、昔の文章になればなるほど恥ずかしくなる。

少し前から、文章を毎日少しでもいいから書く、ということを続けている。そのようにアドバイスをもらったからだけれども、思った以上に難しい。なんとか続いているが、休んでる仕事が再開されて自由な時間が減ったら、どうなるかな、と思っている。

文章を読む、ということも続けている。なんだろう、好きなコラムニストの方や小説家の方の文章を読んでいると、読み手に伝わる文章になっているなーと思う。

自分の文章が独りよがりになっていないか、多分そうなっているかもしれないから(と思うとそのようになってしまう気がするので、思わないようにはしているのだけれど)、どこまでそこから離れた文章がかけるか、が課題である。

小説も、短いものを書いていた時期もあるけれど、最近は全然書いていない。誰にも話していない、ファンタジーものの物語が心の中にいくつかあるけれども、そういったものを文章にするのは一苦労である。

まず、心の中にしかないから、読み手が文章化したものを見たときに混乱しないよう、わかりやすく筋の通ったものである必要があると思う。

あと、昔に心に作り溜めたものだから、今の私が言葉にするとだいぶ違和感が発生してしまうというか、(何その設定!)ということが頻発してしまうことが容易に想像できる。

そして、心の中で作ったものだから設定がめちゃくちゃで、ある程度はいいとして、例えばハリー・ポッターのように各種生き物について詳しい背景を書き手が理解していなければ、また歴史的にも齟齬がないようにしなくては、とか思い過ぎてしまっている。

正直設定については自由というか、(そういうもんだ)で書き手が無理矢理ねじ伏せればそれでいいところもあると思う。ファンタジーやSFを書く時は、そういった思い切りも大事だと思う。

小説も書きたいけれど、詩も書きたい。詩の方が自由にというか、素直に自分の心を書き記すことができる気がする。

書きたいものがいろいろあって、それが全然書けていないけれど、少しずつ、書いていきたいと思う。

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