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女として生きるということ


角田光代さんの『私のなかの彼女』を読みました。

なんでも知ってて頭が良くて頼りになる男の人に恋をして、自分の中の劣等感や孤独を埋めるように「なにか」を探す女性の姿にはとても共感する部分があった。

少なくとも平均だと思っていた自分は、一度社会に出たらとるに足らない存在で。

そんな自分を想ってくれる人が社会の上層にいる人なんだと思えば思うほど、優越感と劣等感の板挟みで辛くなる。

母親との確執、社会から求められる自分と本来の自分とのギャップ、美しいとは言えない容姿。

主人公である女性が抱える悩みは全部、ひとつひとつが大問題とは言えなかったとしても積み重なって身動きが出来なくなる。

考えられないくらい辛い、自分を傷付ける為の言葉をぶつけられたとしても、長い時間に裏打された「共通の言葉」を手放せない気持ちもわかる。

経験として、同じことはあまりない。大学生活をしたことも、就職活動をしたことも同棲していたことも、自分の人生で経験していないことだ。

なのに主人公の心の動きや焦り、不安、高揚感の全てに見覚えがあるような気がしてぐいぐい読み進めてしまった。

作中では後半モラハラかのように語られた恋人も、多分そんなに悪い人ではなかったと思う。でも主人公を下に見ていたのは事実だと思う。

恋人には男の人なりのプライドや孤独があって、それは二人の間にどうしようもなく、ずっとあった。それを嫌味という形で打ち明けていたのだろうと思う。

主人公は生活面や色々と見えやすいところで恋人に甘えていたけれど、恋人は見えにくいところで主人公に甘えていて、それはそれで良い関係だったんだろうな。だから長く続いたんだろうな、って思った。

主人公の描く作品のテーマとして語られた「男性にとっての性交もしくは性は、滑稽なほどシンプルに【力】なのだ」という部分は女性である自分にとって体感とは別の場所で深く納得した部分だった。

よしもとばななが好きで、よく読むのだけれど、そういった【力】として性が描かれることが多いような気がした。女性もその力を使っている、というか。

そういった対当な性がよしもとばななが好きな理由のひとつかもしれない、と思った。


「私のなかの彼女」という作品はものすごいハッピーでもバッドでもない終わり方をするので、全方向にオススメ!とは言えないと思うんですけど

終わり方は美しく、シンプルで押し付けがましくないところが好きでした。

作品をどう受け取るかは読者次第なので、主人公に腹立つ人もいれば、恋人をとても憎く思う人もいるだろうな。そういう読む人をある意味選ばない作品かなって思って、面白かったです。

最近、角田光代さん好きなのでまた読みたいな~(о´∀`о)

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