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愛すべき私のおばあちゃん、はるえさん

私は夫の海外赴任に帯同して、今、シンガポールに住んでいます。現在、日本からシンガポールへの入国は禁止されており、一度日本に帰国するとシンガポールに入国できなくなってしまいます。つまり、一時帰国ができない。日本にいる両親、兄弟、祖母、友達、みんなに次に会うことができるのは、いつなんだろう、という断絶された寂しさを感じています。

そんな中で特に会いたいのは高齢の祖母。(祖父は他界。)

こんな状況なこともあり、最近、祖母のことをよく思うので、今日はnoteに書いてみようと思います。祖母との思い出を。

私は大学生の時に、親元を離れ、祖父母の家に下宿して学校に通っていました。実家から大学が遠かったから、という理由ですが、今思えば、祖父母と住むというのはとても貴重な良い思い出になりました。

家事をやるおばあちゃんの背中

家事をやる祖母の姿が、色々と印象に残っています。

「おばあちゃんは頭で食べてるよね」とよく私はからかっていましたが、食事は極端なほどの薄味で健康志向。体に良いと思えば何でも美味しく食べられるという驚異の資質を持っていました。作ってくれた食事に、よく私は調味料を足していたっけ。

そんな祖母の料理ですが、時々「これはすごく美味しい!!」という一品が出現します。私のお気に入りは「ナスの肉みそ炒め」。これは(薄味でなくて笑)美味しかったな~。また食べたい。

洗濯についても思い出があります。よく「かおりとおじいちゃんは、どうして二人とも、ズボンを脱ぐと、片方だけひっくり返ってるのかしら。」と笑われました。洗濯機から出した服をカゴに入れて、階段を登るのが大変だったみたいで、カゴを一段ずつずらしながら、自分はハイハイで登っていたっけ。今思えば、大学生の私は大して家事も手伝わずに、やってもらってばかりいました。ありがとう、ごめんね、おばあちゃん。

「あの人はいつまでも女学生みたいだよ」と言われるおばあちゃん

私の祖父は、祖母のことを「あの人はいつまでも女学生みたいだよ。」と笑っていました。

特別な外出予定があると「ちょっと、かおりちゃん、どれがいいかしら?」と言って、ファッションショーが始まります。たいしてファッションに詳しくない私でしたが、「この組み合わせがいいと思うよ。あと、ネックレスはこれ。」とか言うと、とても嬉しそうでした。結構、衣装持ちだったので、ファッションショーにお付き合いするのは面白かったです。

好奇心旺盛で勉強熱心なおばあちゃん

「おばあちゃんは、自分でたくさんお稽古の予定を入れながら『忙しい、忙しい』って言ってるんだよ。」と祖父によく言われていました。笑いながら、愛情たっぷりの感じで、その言葉を言う祖父が好きでした。

書道はそれこそ50年以上続けていたのではないでしょうか。家じゅうにかかっている書道の作品について、少し質問しようもんなら、ながーい語りが始まります。書道の他にも、晩年はコーラスや大正琴にも通い、仲間との交流を楽しんでいました。

私が驚いたのは、食卓に裏が白紙のチラシを貯めていて、テレビで何か学ぶことがあると(NHKのためしてガッテンみたいな)、すぐに黒マジックでメモを取る。「チラシの裏+黒マジック」という組み合わせが私には強烈でした。あの時は深く気に留めなかったけれど、なんでもメモに取って記憶しようとするって、何歳になっても勉強熱心だなぁ、それにしてもあの大量のメモはその後どこに行ったんだろう?と思います。

「おばあちゃんて好奇心旺盛で勉強熱心だよね。社交的だし。おばあちゃんの時代は女性が働くのは一般的ではなかったけれど、もし今の時代に生まれていたら、どこかでとても活躍していたと思うよ。」と何度も言った記憶があります。

「なーに、言ってんの。無理よー。」と一笑してから「大学さえ、戦争のせいで、入学こそしたけれど何も学べなかったのよね。」と心残りそうにいつも言っていました。

おばあちゃんの今

今、祖母は95歳。老人ホームに入っていますが、とても元気。おそらく私より食欲があるくらい。

自分の母親が最後にアルツハイマー型認知症になったこともあり「自分もボケるのではないか」と、とても心配していましたが、家族に「ボケるのを心配し続けている間はボケてないよ。」と言われ続け、気づけば95歳。

携帯電話を持っていて、メールを送ると絵文字たくさんの返事をしてきます。こんな絵文字、どこにあったのかしら?というものまで。

そして、電話をするとおしゃべりが止まらない。おそらく9:1くらいで、ほとんど祖母が話しています。

こんな愛すべき祖母がいる。そのことに感謝です。

いつまでも元気でいて欲しい。ただただ、そう願っています。




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