見出し画像

思い出話6 ありがとう!国語の上野先生

中学の頃に、上野先生という国語の先生がいました。
体育系でもないのに、頭はスポーツ刈りでスリムな体型をしていた先生は、いつも優しい眼差しでニコニコしながら、黒板に端正な文字を書いていた。

中二の頃、上野先生の国語の授業の時、何かの都合で先生が休まれたことがあった。

結局、その時間は先生の伝言で自習となったが、当時、授業では詩の鑑賞をしていたこともあり、各自、原稿用紙に思い思いの詩を作っておくよう、先生からの指示があったのです。 

しかし、授業が先生の都合で自習になるときというのは、たいてい、生徒にとっては自習時間ではなく、自由時間。ほとんどの生徒は思い思いのことをしてはさぼるものでした。

でも、私は、その時間、ぼんやりと教室の窓から見える外の景色に目をやりながら、自分の心に浮かぶ文章をあれこれつらつらと考えていた。

小さい頃から私は、絵を描いたり字を書いたり、何かを書くことが好きな子どもでした。

その自習時間、何を書くでもなかったが、原稿用紙に向かい、ぼんやりと、空想の世界に遊びつつ文字を綴っていた。

わずか四十五分かそこらの時間で、いい詩など書けるはずはないが、とにかく、心に浮かぶ言葉を並べそれを原稿用紙に書き綴り、その詩作の時間を自分なりに一人楽しんでいたのでした。

しばらくして、再び国語の授業となった。
教室に姿を見せた上野先生は、前回休んだ理由を簡単に述べると、早速、自習時間に各自が作った詩を各々朗読するように言われた。

出席番号1番の生徒からおもむろに起立をすると、先生に困惑の表情を見せながら、
「作ってませーん」と言ってすぐに着席した。
次の生徒もその次の生徒も似たり寄ったりの返答をして、着席した。

先生は、そんなときでも決して叱ったり、注意したりはせず、常に穏やかであった。
「仏の顔も三度」というが、上野先生は、三度どころではなく、その教室にいる全ての生徒数を許す度くらいでした。

そんな調子で次々とスルーが続いていたので、出席番号12番の私の順番は意外にも早くやってきました。

自分は原稿用紙にしっかりと書き記してあったから、他の生徒のように「やってませーん」の言葉はなく、その点では引け目を感じるようなこともないが、前の生徒があまりにも短い文章なのに対し、自分はかなり長めの詩作であったので、それを皆の前で発表するのが大変に恥ずかしかった。

気が弱い私は、何か自分だけが優等生ぶる気がして、その詩を朗読するのに非常なためらいを感じていたのでした。

ためらいを感じつつも、とうとう自分の番が来た。
「とにかく一度、すべてを読み上げてしまえばそれで済むのだから」
という開き直りを得て、立ち上がった。

そして私は緊張の直立状態で、自分の書き綴った長めの詩を自信なさげに読み始めました。
読みながら、これを聞いている他の生徒や先生のことを考えると、無性に恥ずかしさを感じましたが、もうどうしようもなかった。

己の内面の心情を不本意にも披露させられる形となった私は、読み終えたあと、自分を隠すように無言で着席した。

すると上野先生は、声色を変えて、
「いいですね・・・」と言い、大変褒めてくれた。

私は先生の言葉に何とも言えない照れを感じた。先生は、「素晴らしい」と言い、私にもう一度読むよう促した。
先生は、他の生徒に、よく聞くようにと言われ、私は内心「嫌だな~」とは思ったが仕方なく、再び起立をして、もう一度最初から自作の詩を読み始めた。
緊張感はいくらか落ち着きを見せたが、なくなったわけではなかった。

そして読み終えた私は、再び自分を隠すように席に着いた。

「いいですね・・・」
上野先生は、ニコニコしながらまた同じことを仰った。
「いいですね・・・」
の上野先生の大げさな感動は4~5回続いたが、毎回同じ調子だった。
着席した私はすっかり気分が高揚し、体中が熱くなっていたのを感じた。

今となってはどんな文章だったかはよく覚えていないが、「雨の日には、植物が活き活きするので良いな~」というような内容であったと思う。

それから少しして学期末となった。通知表の国語の成績にすぐ目が止まった。そこには「3」とゴム印が押されていた。
5段階評価の3でした。
でも、よく見てみると「2」と押されたゴム印が修正液で消されていたのがわかった。中間・期末の試験の点数がもう少しよければ、と思ったが、あの詩のおかげで、国語の成績をひとつ上げることができた。

あの私の愚作の詩を皆の前で二度も読ませ、褒めてくれた先生には、今でも感謝しています。
あれ以来、私は文章を書くのが真に好きになったのだから。


水元公園で撮ったカイツブリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?