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動植物の話1 捨て犬だったシロの話

これももうかなり昔の話です。
わが家に「シロ」という白いメスの犬がいた。

弟が、新聞配達のアルバイトをしていた時、どこかで見つけて拾ってきた捨て犬でした。
生まれて間もないまだお乳が必要な仔犬。
声も出せないほどぐったりとし、すでに瀕死の状態で家に連れてきた。
たぶんメスだったから捨てられたのだろう。
弟はスポイトでミルクを与え、介抱し世話をした。

その甲斐あってか、シロは自分でミルクを飲めるほどに回復し、一、二週間もすると、すっかり元気になった。みるみるうちに回復した。

私は初め、シロにはあまり関わらず、遠回しにその様子を見ていたが、シロを見るたび、尻尾を振って愛嬌を振りまいてくるので、少しずつ可愛がるようになった。
母も最初は怪訝な顔つきをしていたが、可愛いシロの仕草に接し、次第に好きなっていった。

シロは誰にでもよくなつく犬だった。
この犬本来の性格なのかはよくはわからないが、誰にでも愛想よく、尾を振りながら近づいてくる黒目の大きな愛すべき犬でした。
だから番犬には不向き。

一、二カ月もすると、弟よりも私のほうが面倒を見るようになり、夕方、毎日シロを散歩に連れ出した。隣家との境にある物置き横の犬小屋へ行くと、シロは全身でその喜びを露わにした。
飛びかからんばかりのシロの前足でズボンが汚れぬよう、首輪とリードを持ち上げながら、散歩用のリードに変える。

一日2回ほどの自由時間を与えられたシロは、私を強く引っ張って、家の前の道路へと急ぐ。
当時、家の裏には草が生い茂る空地があり、私はシロに引き込まれながら、いつもの草原に分け入り、その中を駆けずり回る。

草むらの上で転がり、腹を見せてじゃれるシロの小さな乳首をなでてやると、シロは私になされるまま腹を向け、安心しきった様子である。まるで自分の子どもに乳を与えているような、安らかな表情をする。

好んで食べた煮干しを与えながら、「おて」や「ふせ」を教え込む。シロは私に懐き、私はシロを可愛がった。活発な弟は友だちと遊ぶのに忙しく、その頃はほとんど面倒を見なくなった。

そんなシロだったが、わが家に来て半年以上経ったある夜中、泣き出していつまでも止まないことがあった。
「クーン、クーン」と、苦痛であるかのような声をずっと出していた。出し続けていた。

私たち家族は夜中に起き、シロの泣き声について話していた。夜中にいつまでも泣き止まないシロは、正直とても近所迷惑に思えた。

そしてついに父が言った。
「近所迷惑だから、明日、捨ててきなさい!」

私と弟は父親に言われるまま、やむなく従う形で、再び床に入った。

翌日、釈然としないまま、学生だった私と弟はシロを連れ、自転車で江戸川の土手まで行った。
そこで大好きな煮干しをやり、首輪を外した。

シロはいつものように無邪気に初めての江戸川の土手を走り回った。
私と弟は、シロが遠くへ行ったのを見届けてから、自転車にまたがり、家までの道のりを急いだ。

帰り道、弟は自転車をこぎながら「お兄ちゃん、シロは下痢していたから、お腹が痛くて、泣いていたんだよ。かわいそうだよ」と言った。
私はその言葉を聞いていたが、ただ黙って、自転車をこいでいた。

翌日、私は一人、あの江戸川の土手に行ってみたが、もうシロはいなかった。
誰か心ある人に飼われていたらいいな、などと勝手なことを思った。

あれからもう何十年、白い犬を見かけると、黒目の大きなわが家のシロを思い出す。
いまだに土手を勢いよく走っていった時の情景が思い出される。

あの時なんで、私は父に対して強く抵抗しなかったのか。
後になって、何度も悔やまれることとなった。
やはり、自分では稼ぎもない、親に養ってもらう学生の身であったからであろうか。

今となっては考えられない処置でした。
悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない。
ごめんね。シロ!


ストレリチア

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