見出し画像

【笠間】神社と美術館、らーめんの旅

この3連休は、初日に友人宅を訪ねて近所の焼き肉店で飲食をして一泊し、翌日、友人と茨城県の笠間に行きました。

なぜ笠間に行ったかというと、埼玉に住む友人と今、僕が住んでいる茨城の家の中間地点にある名所だったから。

しかも、笠間には笠間稲荷神社という名所があるだけでなく、笠間日動美術館もあるということもその理由の一つでもあります。

友人は大学で美術を学んでいたということもあり、どこかに行こうかという話になると、だいたい美術館に行くということが多かったりします。

そんなわけで、まず訪れたのは笠間稲荷神社。


笠間稲荷神社は、日本の三大稲荷神社の一つといわれ、名前に稲荷とあるように元々は五穀豊穣を祝う神社であり、そこから派生して商売繁盛・産業興隆・家内安全なども司るにな神社になったそう。

また稲荷神社といえばキツネを連想しますが、その理由が笠間稲荷神社のホームページに記載されていました。

稲荷大神にとってキツネは、熊野神社のカラスや八幡神社のハト、氏神さまの狛犬などと同じように「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれ、神さまのお使いをする霊獣です。

笠間稲荷神


お土産店のキツネのお面


稲荷ということもあり笠間稲荷神社の名物としては稲荷寿司があり、この地方の名産として栗があるため、神社前の商店街では稲荷寿司のお店や栗を使ったお菓子などが多数ありました。



神社では、日本の安寧と世界に平和が訪れることや、自分の役目を果たすための支援を頂けるよう祈願し、その足で歩いて数分の場所にある笠間日動美術館へ。


笠間日動美術館には、ルノワールやダリ、ゴッホ、モネなどの世界的に知られている画家の絵が所蔵されている美術館であり、シンプルに楽しめる美術館です。

しかも、そういった作品の中には写真撮影ができるものもあり、テンションが上がります。


「泉のそばの少女」ルノアール


ダリが使用していたパレット



また日動美術館は日本館もあり、日本作家の絵画も数多く展示されています。



「静徹なものたち」小曽木誠



「勲章」鴨居玲


そういった中で、僕が一番テンションがあがったのが、この鮭の絵。

「鮭」高橋由一

この「鮭」の絵は、何かの教科書などに載っていた記憶があったからか、これを見て妙に嬉しくなりました。

これを書いた高橋由一は日本で最初の洋画家といわれていて、元々は武士だったものの幼い頃より絵が上手で、祖父からの許しを得て画学の道に進むことになったそうです。

由一が洋画を学んだ「蕃書調所」は、ペリー来航によって洋学研究の必要に迫られた幕府が安政2(1855)年に、従来の「天文台蛮書和解御用掛(てんもんだいばんしょわげごようがかり)」を拡充する形で開講した、いわば西洋研究所。語学だけでなく、「精錬学」「器械学」「物産学(今で言う経済学)」「数学」などの各部門が設けられ、それらと並び設置されたのが「絵図調方(えずしらべかた)」、後の「画学」部門でした。

画学部門が設けられたのは、一つには西洋の文物を記録しておくため。さらにモノだけでなく、戦争時には敵の軍勢や陣地、地形などをリアルにスケッチする人材が求められたのでした。また、蒸気機関や近代的建築物、あるいは武器などを分析し、自国で生産できるようにするためには、緻密な製図に起こす必要があります。

蕃書調所では、こうしたことから画学部門を設け、絵の得意な若者を諸国から集め「西洋の遠近法にもとづいた描写法」などを学ばせました。蕃書調所は後に「開成所」と改められ、さらに「大学南校」となり、それが現在の東京大学、さらには東京外国語大学などの前身となりました。

中でも画学局はその後、明治9(1876)年に設置された日本初の美術学校である「工部美術学校」へとつながっていきますが、その目的は殖産技術への貢献を主とし、工部省(現在の経済産業省)が管轄していました。
このように日本における西洋画の歴史は、純粋な芸術表現の発露としてではなく、「殖産興業を推進するための近代化技術の一つ」として始まっているという点に、注意する必要があります。

「サケを描いた意外な理由とは?「日本初の洋画家」高橋由一の真の狙い」より


日本の洋画の始まりは、幕末から明治にかけての「殖産興業を推進するため」から始まったようです。

このため、当時は芸術性よりもリアリティが重視されていたようです。


笠間日動美術館は、こういった作品だけでなく、建物からの景色も楽しむことができます。



建物のフレームが額のような役割を果たしていて、自然を鑑賞できるような造りになっています。

絵をじっくりと見ていると時間があっという間に過ぎていきます。



笠間日動美術館を後にし、食べログを検索し「麺’sキッチン RIRI」へ。

到着したのは13時40分頃、お昼の営業にぎりぎり間に合いました。


「中華そば」850円


僕が食べたのは、中華そば。

昔ながらの中華そばで、大き目のチャーシューがとても柔らかく、美味しくい頂くことができました。

その後、笠間日動美術館の脇道から笠間城跡のある佐伯山に登ります。


移動途中にいた猫


友人と出かけると、だいたい「神社→美術館→らーめん店→景色のいい場所」という行程がルーティンと化しています。


佐伯山の笠間城跡


20分ほど歩いて、佐伯山の笠間城跡に到着。

山頂の天守跡には、佐志能神社(さしのうじんじゃ)があります。



佐白山の山頂(182.1メートル)にある笠間市指定有形文化財「笠間城跡」の天守曲輪跡に鎮座する。笠間県立自然公園の一部(城跡公園[3])である。中近世の城址であるとともに景勝地であり、「笠間稲荷と佐白山」として「茨城百景」および「いばらき森林浴の道100選」の一部に選定されている。

佐志能神社


しかし、この佐志能神社は、3.11の東日本大震災により、石垣が崩れ建物が傾いているため立ち入り禁止区域になっています。

ただ、実際には拝殿前まで行くことは可能です。


佐志能神社から栃木方面を望む


佐伯山は、標高が低く樹木があるため、景色が一望できるというほどでもありませんでした。


といったわけで、今回、巡ったのは、①笠間稲荷神社、②笠間日動美術館、③麺s,キッチン-RIRI、④笠間城跡(佐志能神社)の4か所。


笠間は陶芸の町でもあるので、他にも陶芸美術館に行ったり陶芸体験ができたりするし、先述した通り稲荷寿司と蕎麦、栗のお菓子なども楽しめます。

また最近は、石切山脈という採石場が新たな観光地となっているほか、そこにあるカフェにあるモンブランも人気だそうです。




といったわけで、3連休の中日は茨城の笠間に行ってのんびりと過ごすことができました。

気が付けば、もう3月が目の前です。

月日が経つのがあっという間です。

今週からはまた、いつもの日常生活を送っていきます。

僕の役目として、人類の集合意識を少しでも軽くしていくことがあるため、これからも継続して喜びを軸とした記事を書いていこうと思っています。

一日一日を大切に生きる。

それが我々の使命であり、誰にでも出来ることです。

いつもサポートありがとうございます。感謝ですー😆👍💓