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願いは単純な方が叶いやすい

願いは、思考したことが現実になるということだ。

このため、考え方をシンプルにしていった方が、願いは叶いやすくなる。

たとえば、願いに対して「できる」という思いと「できない」という二つの思いを持っていると、結果は二通り生まれることになるし、もっと詳しく説明するなら、「できる」「できない」というふたつの思いが微妙に交差しながら現実化が起こっていくため、「できそうでできない」とか「できたけどあまり満足できない」というような、望んだこととは異なる現実化が起こってしまう。

つまり、思考によって現実化される姿は、「できる」「できない」という二通りあるわけではなく、実は無数にあるといっていいだろう。

願ったことについて色々考えてしまうと、そこに複雑さが生まれてしまう。

このため、願いを自分の思いに忠実に具現化しようとするなら、願ったことをあれこれ思考しない方がよかったりする。

願ったことをあれこれと考えるということは、そこに執着があるということであり、執着する思いがあると低い波動も含めて具現化が起こってしまう。

だから、何かを願ったならば、それを忘れてしまった方が理想に近い形で願いが叶いやすくなる。

とはいえ、極論をいえば願ったことが100%思った通りに叶うことはない。

逆にいえば、100%理想に近い形で願いを叶えようとするから、そこに執着が生まれてしまう。

そういった執着を生まないためにも、シンプルに今を生きた方が願いが叶いやすくなる。

願うことに力を入れずに、願ったことさえも忘れるくらいに、今を生きれば、ふと過去に願ったことが現実となっていると気づいたりする。

今日のタイトルの中にある「単純」という言葉は、一見すると「何も考えていない」というような印象があるけれど、言い方を変えれば「余計なことを考えない」ということでもある。

今を生きていると、余計なことを考える暇がなくなっていく。

しかも、今を最大限に生きられるようになると自然と幸せを感じられるようになる。

そういった状態になることができれば何かを願う必要もなくなっていく。

実をいえば、何かを願う必要がなくなった状態というのが、願いが叶った状態でもあるのだ。

願いが叶った状態とは、今を夢中になって生きられている状態を指す。

だから、今を夢中になって生きられるようになれば、必然的に願いを持つ必要がなくなっていく。

願うという行為の裏側には不満に思う気持ちが存在する。

しかし、不満と感じることがなくなれば、もう何も願わなくてすむようになる。

そして、願いを持たなくなればなるほど、不思議と自分では想像できないような幸せが舞い込んでくる。

願いが100%思った通りにならないとうことには、こういったサプライズの要素も含まれている。

今を最大限に生きる、そういった単純さが想像を超えた願いを叶える方法となる。

今を楽しんで夢中になって生きていると、思いもよらぬサプライズがやってきて、生きることが驚きに変化していくことだろう。




話は変わります。


こちらのラーメンは、昨日、友人宅からの帰りがけに友人と訪れた「鬼者語(おにものがたり)」というお店で食べたもの。

細長いお皿の上に乗っているのはラーメンのトッピングで、自分の好みで食べるスタイル。

僕が食べたのは「鶏と水」(濃厚)1350円。


こちらは、360円の替え玉(ジェノベーゼ)。


最近の替え玉は、余った汁に麺を加えるというものではないらしい。

全く予想外の味とスタイルで、ラーメンという概念を超えた幸せを体験することができた。

詳しくはこちらサイトをご覧ください。

お店について分かりやすく解説されています。



お店は、茨城のつくばにあります。



いつもサポートありがとうございます。感謝ですー😆👍💓