93)「琴線に触れる」は魂のメッセージ
昨晩、オンデマンド放送で「情熱大陸」を観た。
番組で取り上げていたのは、石川佳彦さんというウルトラマラソン・ランナー。
ウルトラマラソンとは42.195キロを超えるレースのことで、番組で取り上げていたレースは「バッドウォーター135」というレース。
カリフォルニア・デスバレー国立公園の217キロの距離を制限時間60時間内で完走するというもの。
デスバレー国立公園は、アメリカの国立公園の中で最も大きく、最も暑く、最も乾燥した地域であり日中の気温は50度を超えることもあるという。
石川さんは、過去にこのレースで2度優勝していて、今年のレースでは総合3位だった。
番組の中で、僕が特に興味を持ったのが、彼が実業団のランナーとして活動していたものの思うような結果に恵まれない中、24歳のときに初めて参加した「隠岐の島ウルトラマラソン100キロ」でいきなり優勝してしまったこと。
初出場した大会で優勝してしまったということに、運命というか宿命みたいなものがあるのではないかと思った。
もちろん、大会に向けてたくさんの研鑽があっての優勝だと思う。
しかし、ウルトラマラソン以前の大会でも、たくさんの練習していたはずなのに結果が振るわなかった。
ところが、ウルトラマラソンだとすぐに結果が出てしまうということは、長距離であればあるほど、あるいは、過酷なレースであればあるほど、石川さんが持って生まれた特性が活きたのではないかと思えたのだ。
石川さんは、初出場のウルトラマラソン以降、数々のウルトラマラソンで優勝を重ねている。
つまり、距離が長ければ長いほど、石川さんは自分の特性を活かせているということができるだろう。
自分の中にどんな可能性が潜んでいるかは、正直、誰も分からないといっていい。
何をすれば自分が活きるのか、誰もが未知の状態で人生を始めるものであり、運よく自分を活かせる道に出会えれば、その人生を充実させて生きていくことができるだろう。
自分を活かせることができれば、必ず花が咲く。
生まれ持った身体能力や思考性を、上手に活用できるような対象と出会うことができれば、人生を幸せに送っていくことができるだろう。
石川さんは、ウルトラマラソンでそれを見つけたのではないかと思う。
石川さんのように、人生を掛けて挑戦したいと思えるようなことに出会えると、生きることを充実させることができる。
では、どうすれば人生を掛けてやってみたいと思えることに出会えるのか。
誰もが未知の状態の中で人生を始めているのだから、それを見つけられるかどうかの違いはどこにあるのか。
結局のところ、自分が興味を持ったことに挑戦してみて、挑戦した結果、面白いと感じられるかどうか、なのだと思う。
石川さんのように、初出場で初優勝という結果が得られなくても、何かに挑戦してみて、「面白い」と感じたり「もっとやってみたい」「もっと知りたい」と思えることが大事なのではないかと思う。
そういった「手応え」を感じられるようなことと出会えれば、自分を活かせる対象に出会えるのではないかと思う。
もちろん、いきなり自分を活かせる対象と出会えるわけではない。
運動が得意だった石川さんは最初は野球少年だったそうだ。
しかし、高校では陸上部に入る。
陸上部では中距離の選手になり、高校卒後に実業団の選手となるも結果に恵まれない。
24歳の時に出場したウルトラマラソンに参加し、石川さんの生まれ持った資質を活かせる対象と出会うことになる。
石川さんは幼い頃から運動神経がいいということは自覚していたのだと思う。
そこから野球→陸上→中距離→ウルトラマラソンといった具合に、少しづつ自分を活かせる道に近づいていっている。
おそらく石川さんは、ウルトラマラソンが自分の人生を大きく変えるとは思っていなかったのではないかと思う。
番組のナレーションでは、石川さんがウルトラマラソンに「たまたま参加した」といっているくらいだ。
こういった「たまたま」が、自分の人生を大きく変化させるきっかけとなったりする。
24歳の石川さんは、何かのきっかけでウルトラマラソンに興味を持ったのだろう。
ウルトラマラソンに、石川さんの琴線に触れる「何か」があったのだと思う。
そこで、その「何か」に応えて挑戦したことが、結果的に大きく人生の舵を切ることになる。
参加する前に、その後の人生の変化を予想することもなかったに違いない。
チャレンジしてみて初めて氣づけることがある。
経験して感じてみないと、自分を知ることはできない。
心と体で感じてみないと、それが自分に適しているかどうかは分からない。
もちろん、むやみやたらに挑戦すればいいというわけではない。
ただ自分の琴線に触れることは、出来るだけ挑戦してみた方がいい。
琴線に触れるということは、「心の奥に秘められた感じやすい心情を刺激して、感動や共鳴を与えること」だから、ある意味では「私」という魂からのメッセージでもあるのだ。
だからこそ、琴線に触れたことには、挑戦する価値があるといっていいだろう。
琴線に触れるということは、直観みたいなものだから明確な根拠はなかったりする。
根拠はないけれど、どうしてもそれをやってみたいと思えることは、挑戦すべきなんだと思う。
その一方で、根拠が明確にならないからという理由で、それをしないことの方が大きな痛手になるのではないかと思う。
衝動に理由はない。
人が恋に落ちる理由のほとんどは後付けであり、明確な根拠があって恋に落ちるわけではない。
恋とは、恋愛の学校で恋愛学を学び証書を貰って初めて、恋に落ちれるようになるというような回りくどいものではない。
恋は一瞬で起きるものであり、経歴も実績も全く関係ない。
「心の奥に秘められた感じやすい心情」も、根拠も実績も経歴も全く必要としない。
だからこそ「たまたま」なのだ。
「たまたま」挑戦したことに何かしらの手応えを感じられたら、それが自分を活かす道になり得るといっていい。
人は両親を選んで生まれてくるといわれている。
つまり、両親が持つDNAを意図して引き継つぐために生まれてくるといってもいいだろう。
親が運動神経がよければ、そのDNAを子が引き継ぐ。
手先の器用さ、みたいなものもDNAで引き継がれているし思考の仕方、性格なども引き継がれていると考えることができる。
いずれにせよ、両親から引き継いだDNAを活かして自分の人生を充実させるために、今世を生きているといういい方もできる。
運命論的ないい方をするならば、ある目的を持って人はこの世に生まれてきているといってもいいだろう。
そして、その目的に出会うことができれば、自分を活かしつつ世の中に貢献できるようになっていく。
そこで、この「自分を活かせる」対象を見つける方法が、「琴線に触れる」という直観であり衝動といってもいいだろう。
だからこそ、「面白そうだな」とか「やってみたいな」と思えることには挑戦した方がいいし、もし身近にそういった思いを持っている人や子がいるのら、そういった人達を支援していった方がいいのではないかと思う。
直観は、自分の魂からのメッセージだ。
しかし、そのメッセージを受け取れるかどうか、あるいは、そのメッセージを受け取っても行動に移せるかどうか。
自分の魂は、常に自分宛にメッセージを送り続けている。
特に、自分が好んで目にするもの手にするものの中にメッセージが潜んでいたりする。
そこで、可能な限り自分が惹かれたことには、何かしらのアクションをした方がいいのではないかと思う。
石川さんのように、それが「たまたま」であったとしても、「たまたま」の背後には「琴線に触れる」という直観があり、その直感が、人生の在り方を大きく変えることもあるだろう。
挑戦して、手応えを感じなければ辞めればいい。
そうやって、直観に従って挑戦し続けていれば、必ず自分を役立てることができる何かに出会えるようになるはずだと思う。
内なる自分から絶えずメッセージがやってきている。
そのメッセージに氣付いて行動できるようになると、人生の舵を大きく切ることができるだろう。
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