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66.「ねばならない」が感情や直観、感覚の蓋をする

今日は、「ねばならない」が多いと感情や直観、感覚を閉じてしまうということを書いていきます。

「ねばならない」とは「義務」であったり、「制約」といってもいいでしょう。

こういった義務や制約が生活の中に多く含まれていると、それらを優先しなければならないため、自由度が下がっていくことになります。

義務や制約を優先するということは、何かを我慢しなければならなくなるということでもあります。

昨日の記事で、僕は制約の多い家庭で育ったということを書きましたが、そのために「やりたいな」と思ったことができないことが多く、何かをしたいと思っても「どうせ駄目だから」という思いをもってしまう癖を身に付けてしまいました。

このため、僕は人生の早い段階で「諦め癖」が付いてしまったわけであり、義務や制約を日々感じながら生きていたということになります。

しかも、「諦め癖」が付いてしまったことで、次第に感情に蓋をするようになっていたのです。

また、この諦め癖は、ふと「何かをしたい」というような思いが生まれても、「どうせ駄目だから」という理由でそういった直観に蓋をしてしまっていたし、やりたいと思ったことが出来ないということが、結果的に、自分の感覚を閉ざすことにもなっていました。

こういったことから、僕は。ユングのタイプ論でいう思考、感情、直観、感覚の中で残った思考が強くなったということができます。

幸いなことに、中学に入ると部活をするようになり、放課後や休日に部活をすることで、友人と同じような生活をすることになったため、友人ができて僕にはできないということがだいぶなくなったため、それ以降は、諦め癖をが出ることも減っていきました。

部活は、自分が望んでする活動であるため、義務や制約にはなりません。

むしろ、部活を通じて思考以外の感情、直観、感覚を養うことができるようになりました。

そういった意味でも、自分で望んだことをすることができると、自己肯定感を身に付けることができるし、思考だけでなく感情、直観、感覚を養うことに繋がっていきます。

人は自分の思いと行動を一致させることで、自分を満たすことができるようになるものだし、思いと行動を一致させることができればできるほど、バランスよく思考、感情、直観、感覚を使い分けるようになるのだと思います。

自分で決めた「ねばならない」は、義務や制約にはなりません。

しかし、他者から強制された「ねばならない」は、義務や制約になります。

もちろん、自分と他者で話し合ってお互いに納得できたなら、それは義務や制約にはなららない、といっていいでしょう。

僕は、以前、あるカウンセラーの資格を取得しました。

そのカウンセラーの資格を勉強しているときに、クライアントとの信頼関係を結ぶことの大切さを学びました。

なぜ、クライアントとカウンセラーが信頼関係を結ぶことが大切かというと、まず最初に信頼関係を結ぶことができないと、カウンセラーの助言をクライアントに聞いて貰らえないからです。

このため、カウンセラーがクライアントの相談を受ける場合は、最初にクライアントの話を丁寧に聞く時間を設けます。

このクライアントの話を丁寧に聞くということを「傾聴」といいますが、まさに相手の話に耳を傾けることで、信頼関係を築くことができるようになります。

人は、自分の話をしっかりと聞いて貰えると、心を許せるようになるものであり、信頼関係を構築できてはじめて、カウンセラーとして見解を聴いて貰えるようになるものです。

カウンセラーとしてしていけないことは、相手の話を聴かずに自分の意見をどんどんいってしまうことであり、これをしてしまうとクライアントとカウンセラーは対等な関係を結ぶことができません。

人は対等な関係を結ぶことができてはじめて、信頼関係を結べるようになるものであり、どちらかに力関係が偏ってしまうと、そこに対立関係が生まれてしまうことになります。

カウンセラーとクライアントの関係は上下関係ではありません。

常に対等な者同士、お互いの思いを伝えあうことで、そこに氣付きが生まれ、その氣付きが問題を解決させるきっかけとなります。

こういったことは、親子関係にもあてはまるものであり、親が子どもに一方的に何かを強制したりすると、反発する心が生まれてしまったりします。

親子間の信頼関係が上手に結ばれるかどうかは、実は幼い頃から始まっていて、幼い頃から一方的な関係を結んでしまうと、対等な関係を結ぶことができなくなってしまったりします。

つまり、子どもがどんなに小さくても、大人の側が子どもに歩み寄って、話をしっかり聴いてあげ、さらに大人の側の思いを丁寧に分かるように伝えてあげることが大切だったりします。

また、親子間で楽しい思い出をたくさん作るということも、お互いの信頼関係を結ぶことになります。

他にも、幼い頃から他者と対等な関係を結ぶことができるようになると、その経験が、他者との関わり方を知ることになるため、その後の人生の宝にもなっていきます。

幼い頃から大人と対等な関係を結べるようになると、自分の思いを伝えられるような人間になっていくものであり、年齢とは関係なく対等な人間関係を結べるようになっていくものです。

そして、どんな人とでも対等な人間関係を結べるようになると、自分と他者との間で納得できるような話し合いができるようになるため、相互間に義務や制約が生れなくなっていくものです。

他者との間に義務や制約を感じない関係は、自由度の高い関係性といえるでしょう。

こういった自由度の高い関係性をより多くの人と結べるようになると、他者との関りが楽しいと感じられるようになるものです。

昨日の記事で、大人は子どもに「人生は楽しいもの」だということを伝えなければならない、ということを書きましたが、人生の楽しさには「他者との関わり」も含まれているため、大人がしなければならないこととして、「他者と関わることは楽しいことだ」ということを伝えてく必要もあります。

「他者との関りが楽しい」ということを幼い頃から学べると、より積極的な人生を歩めるようになるものです。

しかも、相手の話に耳を傾け相手の思いを理解した上で、自分の思いを伝えるということは、誰にでもできることであり、これができるようになると平等の意識が生まれてきます。

これまでの時代は、上から下へのトップダウン型のやり方が主流でした。

しかし、これからは横並びの互いの長所を出しあっていく世の中になっていくのではないかと思います。

また、そういった社会を創り出していくためにも、まずは大人が子どもと対等な関係を結べるように心掛けていかなければならないと思います。

大切なのは、大人が子どもに歩み寄って対等な関係を結ぶことであり、子どもの感情や直観、感覚を伸ばしていいけるようにしていくことだと思います。

のびのびと育った子が、のびのびとした社会を創っていくようになるのだと思います。




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