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心身の調和が取れたとき、自分を生きることができる

我々は「思い」を基準にして行動しています。

しかも我々はどんな思いを抱いても、どんな信念を持っても自由です。

なので、この世界には明確な答えは存在していないといえます。

基本的に我々は、何をしてもいい、といったフリーな状態にあるといっていいでしょう。

少しシニカルにいうならば、本来は正しくあるべきはずの政治が、必ずしも我々のためになっていないと感じるのは、この世界では、どんな思いを持って行動してもいいといったことを表しているといえます。

とはいえ、どんな思いを持っていいとしても、思ったことがすべて正当だというわけではありません。

この世界には、やはり目には見えない法則があって、その法則に従って生きていないと上手くは行かないようにできています。

そして、現状が上手くっているかどうかは身体が答えてくれたりします。

上手くいっている場合は体調がいいし、そうでない場合は身体に不具合が出てきたりします。

自分の思いのベクトルが誤った方向に行っていたりすると、それは違うよと身体が合図を出てくれるのです。

僕は数年前、一月ほど入院したことがありました。

当時の僕は、仕事に不満を感じていながらも、やらなければならないという思いと、そろそろ潮時だな早く辞めたいな、という二つの思いを持って生活していました。

それはまるで、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような状態であり、身体がオーバーヒートしてしまったといっていいでしょう。

結局、その入院を機に会社を離れることを決意し、その半年後にその職場を退職しました。

どんな思いを持っているかは、千差万別、人それぞれです。

そういったひとり一人の異なる思いを誰かが統制することはできません。

意識的にせよ無意識的にせよ何を思い考えるかは、この世界ではすべて自由なのです。

僕が矛盾する思いを持っていたのも、自由意思のなせる業です。

しかし、そんな自由意思の反動は、得てして身体に来るものです。

自分の思いや信念以上に、身体の方が答えを知っていたりします。

身体は「その考えを変えようよ」といった合図を不調という形で出してくれます。

こういった身体の合図に気づいて考え方を変えてみたり、生き方を変えてみたりすると、それまで持っていた思いや信念に変化を与えることができます。

身体からの合図を受け入れることができると、身体の調子もよくなり、徐々に前向きに生きていけるようになっていきます。

前回の記事で「自分のために生きる」といった内容の記事を書きました。

「自分のために生きる」には、まずは自分の身体を整えることから始めなければなりません。

身体が整うと自然と精神も整っていくものです。

少し前の記事では、「口角を上げるとポジティブになれる」という記事を書きました。

人は、口角を少し上げるだけで自分の思いとは関係なく気分を変えることができたりします。

自分の思いや信念よりも、身体の方が的確な答えを知っていたりするのです。

身体は常に「いまここ」に存在しています。

このため、自分を生きるには「いまここ」で生きることです。

そうすれば、自分の思いと身体に調和を図ることができるようになります。

また、自分の身体を整えるためには、自分の気持ちに嘘をつかないことも大切です。

自分の気持ちに嘘をつくと、身体はその嘘に反応します。

自分の気持ちに嘘をつけば、それがストレスとなって身体に影響を与えます。

自分に対する嘘というストレスの蓄積が、体調不良を起こさせるといっていいでしょう。

そういった意味でも、自分の気持ちに嘘をつかずに自分の心が喜ぶことをすると身体も喜ぶようになります。

身体は、頭で考えていること以上に、心との繋がりが強いため、心が喜ぶことをすれば、身体も一緒に喜んでくれるものです。

しかし、心が苦しさを感じていながら無理をして過ごしていると身体も苦しんだりするものです。



心は身体の中心にあります。

心が感じることは、身体全体に伝わりやすいといっていいでしょう。

一方、頭で考えたことを心が受け入れないと、それが身体には伝わっていかないのです。

では、心が喜ぶこととは何なのか。

その出発点が「嬉しい」「楽しい」「気持ちいい」といった感覚であり、そういった感覚を基準にして思考をしていけば、心身ともに調和が取れるようになっていきます。

心身ともに調和が取れたとき、我々は自分を生きることができるようになります。

心身の調和が取れるようになったとき、それだけで波動が上がっていき、自分を活かすことができるようになります。

身体と思考が「今」で結ばれると、そこに調和が生れます。

どんな状況にあるのせよ、今に集中できたとき心と身体に調和が生れます。

数年前、僕が体調を崩し入院したとき、全く今を生きることができませんでした。

四六時中、過去と未来の逡巡を繰り返していて、今にいることができませんでした。

そういった逡巡が、心を苦しめ身体に害を与えることになっていたのです。

その当時、もっと今に集中できるようなメンタルがあれば、違った結果を生み出すことができたかもしれません。

身体を害することなく仕事を続けることはできていたかもしれません。

とはいえ、それをしていても心が喜んではいなかったので、結果としてその仕事は退いていたでしょう。

むしろ体調を崩すことで、自分の願いを叶えることができてしまったのです。

そういった意味でも、心が喜ぶことをして今に夢中になって生きることが一番の理想です。

その仕事を辞めて以来、これまで綱渡りをするような形で生きてきてきました。

会社組織から離れて生きていくと決めて、いくつもの試行錯誤をしてきましたが不思議と何とか生きることができました。

そういった不思議さは、心と身体の調和が取れているからこそ生まれたのかもしれません。

何をすれば心が喜ぶのか。

このことを見つけることができれば、自然と道が開いていくことでしょう。

この世界の法則は調和にあります。

調和が取れていると、どういうわけか上手くいくようになっています。

先のことは予測するのは難しかったりしますが、紆余曲折がありながらも上手くいくようになってます。

「調和」という言葉の中に「周」の字があるように、自分との調和が取れるようになると、周りに和が広がっていきます。

言葉を発するのは自分です。

言葉とは思いです。

調和の取れた言葉を自分に発すれば、自分を和することができ、やがて周りが整っていきます。

それが調和なのかもしれません。

そのためにも、まずは自分の心身の調和を図って、自分を生きるところから始めることが大事だと思います。

人間万事塞翁が馬です。

全ては今につながっています。

この今に和解できたとき、調和が生まれます。

自分と調和の取れた人から、自分を生きられるようになるのだと思います。

自分を生きる人が増えていけば、この世界のあり方も変化していくことでしょう。

自分自身と調和を図れば、シンプルに生きていくことができるでしょう。



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