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個性を伸ばして、喜びで生きる時代を創る

我々は、それぞれの個性が異なる生き物であり、そういった違いを持った人たちが集まってできているのが、今の社会といっていいだろう。

人間社会とは、いってみればジグソーパズルのようなものであり、一つのピースとピースが偶然にピタリとはまることは稀なことであり、様々な出会いを重ねていくうちに、互いのピースをはめることができれば上出来といっていい。

現状のままだと、人生を通じて互いの個性を上手く融合させられるような相性の合う相手を見つけられるケースは多くなることはないだろう。

そう考えると、学校にしても会社にしても、ましてや家族でさえも互いのピースをピタリと当てはめることは難しいものであり、衝突することは当然のことのように思えてならない。

ましてや組織が大きくなればなるほど、個性の異なる人たちがたくさん集まってくるもの。

大きな組織は、ピースの数の多いジグソーパズルのようなものであり、そこに難しさがあるのは当然のことでもある。

いってみれば、現在の社会そのものが難しいパズルをしているようなものであり、難易度の高い社会に我々は存在している。

とはいえ、我々はそういった難しさを体験し、自分を成長させるためにこの世界に生まれてきたりしている。

だから難しいからといって諦めてしまうのは、もったいない。

では、どうすれば自分のピースと他者のピースをうまく合致させられるようになるのだろうか。

どうすれば、ストレスを感じることなく円滑な人間関係を結べるようになるのだろうか。

その答えのひとつとして、自分の個性とは何なのか、ということを詳しく知ることなのだと思う。

自分の出来るところと出来ないことをしっかりと把握することができれば、相手のよさと自分のよさを互いに補い合って生きていけるようになるだろう。

互いの凸と凹を把握し、上手く合致させて生きていけるようになれば心地よい関係を結べるようになる。

パズルのピースが当てはまった瞬間に得られる快感は、OKの合図でもある。

そうなるためにも、まずは自分は何が得意で何が苦手なのかを知るところから始めていくことが大切なのではないかと思う。

これまでの社会のあり方は、一人ひとりの持っている個性を伸ばすことよりも、誰もが同じように考えて行動するというような風潮があったように思う。

なぜそういった風潮が生まれたかというと、誰もが四角形になればパズルを簡単に完成させることができるからだ。

凸凹をなくして均一化できれば、パズルを完成させるスピ―ドが極端に上がっていく。

きっとそういった思想があったから、誰もが同じような考えを持つような仕組みがつくられたと考えることができる。

誰もが同じような考えを持って行動すれば、国が望むような社会をいち早く完成することができる。

戦後の昭和にはそういった思想があったし、そのお陰で国家としていち早く復興を遂げることができたのかもしれない。

同じ思想を持つ人が多ければ多いほど、物事は早く進んで行く。

しかも、そういった時代の後に、平成という時代が来たのも必然のように思えてならない。

平成の時代は、いろんな物事が平均化された時代だったように思う。

特出した個性の出づらい社会だったし、良くも悪くも凹凸のない時代だったように思える。

しかし、そういった均一化された社会は脆く壊れやすい。

誰もが四角形になった社会は、パズルを裏返しにしたら瞬く間に崩壊するけれど、出来上がったジグソーパズルを裏返しにしてもなかなか壊れない。

ジグソーパズルのように、それぞれの個性が上手に組みあう社会には、強度がある。

お互いの個性を上手に組み合わせることのできた社会の方が、柔軟性という強さを持つ。

令和の時代は、そういった時代にしていかなければならないだろう。

「令」という字には、「命じる」、「言いつけ」という意味の他に、「めでたい」「麗しい」という意味がある。

この令和の時代を前者にするか後者にするか、我々の手にかかってる。

そういった意味でも、まずは自分を知るということが大切であり、自分の得意不得意を知って、自分が提供できることと受け取りたいことを正確に把握できるようになれば、それぞれの個性を失わせることなく有機的な社会を創っていけるようになるだろう。

有機的とは、「有機体のように、多くの部分から成り立ちながらも、各部分の間に密接な関連や統一があり、全体としてうまくまとまっているさま」という意味である。

これまでは、誰もが横並びになることがよいこととされてきた風潮があったと思う。

おそらく、そういった方針が国側にあったため、教育の方針もそういったものになったのだと思う。

そういった中で、すべての科目で高得点をとることが善しとされる風潮があったし、それができるのは極わずかな数の人たちでしかない。

我々は、そもそも個性を持っているわけだから、出来不出来というような偏りがあるのは当然のこと。

そういった意味でも、自分の個性を正確に把握して、得意なことを有効に活用できるようにしていったほうが、誰もが生きやすくなっていくはず。

これからは、幼いころから自分を知るということに力を入れて教育していくようになればいいと思う。

自分の個性を把握して得意なことを伸ばしていけば、生きるのが楽しくなる。

もちろん、得意なことだけをやっていればいいというわけではない。

人は、いろんなことをやっていった中で、自分の得意不得意を知ることができるようになるわけだから、むしろ教育の場とは、いろんなことに挑戦する場所となる。

そういった様々な経験を通じて、自分が楽しいと感じられることと苦手と感じることを知る機会を得ていけるようになるといいと思う。

当然、その基準は高い得点を得るかどうかではなく、それを楽しいと感じるかどうかであり、それをしてみたときの感情が大事になってくるだろう。

何かに挑戦してみて、結果として上手くいかなかったとしても、またやってみたいと思えたならば、それはその人にとっての得意分野になる可能性もあるわけだから、大切なのは出来不出来という結果ではなく感情の方となる。

経験を通じて感情を見ていくことができれば、自分は何に前向きになれるのかということを知ることができるようになるだろう。

人は前向きになれることに対して貪欲になれるものであり、そういった対象と出会うことができれば、それが自然と得意分野になっていく。

自分の感情を大切にして生きていけるようになっていくと、自分の性に合うものごとを見つけやすくなる。

いろんなことを挑戦していく中で自分の傾向を知り、その傾向の中で出来ることは何か、難しいと感じることが何かを知って自分の凸と凹を把握していけば、次第に自分の役割を明確にしていけるようになるだろう。

そういうふうにして、一人ひとりが自分を知ることができるようになれば、自分と近い人と遠い人を見分けられるようになっていくし、自分と近い人同士が集まっていけば、互いのピースがはまりやすくなっていくのは自然なこと。

そうなれば、人間関係にストレスを感じるケースも減っていくことだろう。

自分の個性を把握するということは、パズルのどの部分を担っているかを知ることであり、効率よく自分にふさわしい出会いを生み出せるようになる。

しかも、自分に適した出会いを創出できるようになれば、互いに自分の目的に集中できるようになっていくものであり、ストレスレスな環境で過ごせるようになっていく。

自分の好きに向き合い、周りとも調和の取れた環境の中で生活できるようになるのが我々の理想といっていいだろう。

そうなるためにも、貪欲に自分を知るという所から始めていく。

これまでは、社会がつくり出した大きな風潮に自分を合わせる時代だった。

しかし、これからは自分と似たような価値観を持った人たちで、まずは小さな社会を創っていき、その小さな社会が有機的に絡まり合って一つの大きな社会を創出していく時代になっていくことだろう。

そうしていかなければ、これから先、人としての種の成長が見込めないのではないかと思う。

昨日のつぶやきで、次のようなことを書いた。

生命には、全く同じものは二つとない。この世界は、一つひとつが異なるのが前提で成り立っている。だからこそ、それぞれの違いを認め、その違いを伸ばしていけるような社会が健全な社会といっていい。誰もが同じような道を歩むのではなく、一人ひとりが不二の道を歩む時代がもう間もなく来るだろう。

これまでの画一的な思考性を脱し多様性を認め、それぞれがそれぞれに活躍できるようになることが人という種としての成長となるし、それができるようになると、我々、一人ひとりは格段に生きやすくなっていく。

ひとり一人が自分の目的に向かい合うことができるようになれば、個人としても社会としても飛躍が起こることだろう。

ストレスが減ると、自分に集中できるようになるから、成長速度が速まっていくのは当然のこと。

そうなるためにも、まずは自分の持っている個性を知って、自分に近しい人と過ごしやすい関係を結びながら社会を構成していけるようになると、心地よく生きていけるようになることだろう。

令和の時代は、心地よい風のように涼しげな時代になるなればといいなと思うし、そういった時代を創っていかなければならない。

最後に、以前読んだ保江邦夫さんと山崎拓巳さんの共著「神様にゾッコン愛される夢中人の教え」という本の冒頭に書かれている山崎拓巳さんの風の時代の特徴の要約を引用しよう。

・風のように軽く
・自分軸で生きて、自分の価値観を満たす喜びが最優先
・お互いに尊重し合う人間関係に変化 タテ型社会がヨコ型社会に
・「カタチ」「テンプレート」の崩壊 あなた流にアレンジ自由
・貢献の時代。誰かのためにという利他の精神になる
・個々の所有からシェアカルチャーへ
・仕事においても、「所属」「場所」「肩書」から解放される
・お金の価値の変化、循環経済

自分軸で生きるとは、自分が提供できることを知ることであり、他者に提供して貰いたいことを知ることでもある。

また、そういったことを知ることができれば、尊重し合う人間関係を構築できるようになるものだし、社会の仕組みがタテからヨコに変化していくことだろう。

社会に貢献するにしても何かをシェアするにしても、自分は何ができるかを知らなければならない。

自分に出来ることがあるということが個性になる。

生まれ持った個性を伸ばしていくことは喜びでしかない。

得意なことを伸ばしていくことが、楽しくならないはずがないのだ。

自分の得意なことを提供して生きていけるような社会になれば、誰もが喜びの感情を味わって生きていけるようになることだろう。

我慢ではなく、楽しむことが生活の軸となる時代を創造していくのが、現在の我々がすべきことでもある。

新しい社会を生みだすためにも、現在は自分の特徴を把握する、そんな時期なのかもしれない。



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アキタロウ
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