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心が喜ぶことを選べば上手くいく

最近は、「心が喜ぶことを選べば上手くいく」と思って生きています。

なぜかというと、「心が喜ぶ」ことであれば楽しんで行動できるものだし、たとえ困難と思えるようなことに出くわしても、それを困難とは思わずにエンジョイしながら乗り越えられるようになるからです。

逆に、簡単と思えるようなことでも、心が喜ばないことをしていては長続きしなかったりします。

人は、ちょっと難しいと感じるくらいのことをした方が、楽しいと感じるものだし、挑戦している感じがあった方が大きな喜びを得られるものです。

しかも、心が喜ぶことであれば、自分で勝手にハードルを上げていってしまったりします。

職人さんや画家の人、演奏家の人々が表現する超絶技巧の数々は、心が喜ぶことをしながら、自分で自分のハードルを高めていった結果といっていいでしょう。



こちらは、10月に訪れたホキ美術館で購入した生島浩さんのポストカードです。

この絵を眺めているだけで、生島さんが絵を描くのが好きで好きでたまらないんだな、ということがヒシヒシと伝わってきます。

心が喜ぶことをしていると、人はここまで精巧な絵が描けるようになってしまうものだし、誰もが同じような可能性を持っているはずなのです。

もちろん、こういったことは芸術の世界に限らず、我々の日々の営みの中にもあったりします。

祖母が作ってくれた料理がものすごく美味しかったとか、近所のパン屋さんで買ったあんパンが忘れられないとか。

そういったささやかな一場面の向こう側には、祖母やパン職人の創作する喜びが必ず存在しているものです。

そういった喜びがあるからこそ、それを受け取った人も喜びを感じられるようになるものであり、それを生み出した喜びが波紋のようにに広がっていくものです。

なので、あまり難しいことは考えずに、シンプルに自分の喜びを軸にして生きていけば、それだけで上手くいくようになるのだと思います。

では、そんな喜びを感じる物事をどうやって見つけていけばいいのか。

それは、自然とアイデアが浮かんできるようなことをしていけばいいのではないかと思います。

たとえば、普段、何かを食べていて、「もう少し砂糖を加えた方がいいのにな」といったことを思い付いたりする人は、料理に喜びを感じる可能性が大きいといえます。

テレビでマラソン中継を見ていて、ふと自分でも走ってみたいと思ったりするのであれば、走ることが自分の心が喜ぶ対象となる場合もあるでしょう。

本を読むのが好きな人が本を書きたいと思ったり、好きなミュージシャンの音楽を聴いていて、自分も歌ってみたいと思うのであれば、それは自分の心が喜んでいるということです。

東京五輪の女子ボクシングで金メダルを獲った入江聖奈さんは、現在は大学院でカエルの研究をされているそうですが、きっかけは、高校時代の学校の帰り道でヒキガエルに出会って、完全に心つかまれたからだそうです。

そういった、言葉では上手く言い表せない「何か」が自分にとっての喜びであり、明確な理由のない喜びが自分を輝かせたりします。

大切なのは有名になれるかどうかではなく、それで収入を得られるかどうかでもなく、「ただそれが好き」とか「理由はないけど、なぜか惹かれる」といったことをすることなのだと思います。

頭では、「生活できないでしょ」と考えてしまったりしますが、生活のために楽しくないことをすることは、結果的に自分に不幸を与えることになります。

楽しいと感じないことを長時間するということは苦行でしかなく、自分を苦しめる行為です。

むしろ、理屈ではなく心が喜ぶことをした方が、自分が自分として生きていけるようになるものであり、生きることそのものが喜びになっていくものです。

しかも、そうやって心が喜ぶことをしていると、自然とそれができる環境が生まれてきます。

この世界は自分の思いで創り出しているものであり、自分が発信した思いが、そのまま返ってくるのがこの世界の法則です。

「できる」という思いを生み出せば、そのまま「できる」という現象が返ってきます。

自分の気持ちをシンプルにすればするほど、それがそのまま返ってきます。

「できるかなぁ」を「できる」に変えることができれば、現実が動き出します。

「できるかなぁ」は、日々の積み重ねで「できる」に変えられるようになります。

カエルの研究が世の中にどう役に立つのか、頭で理解しようとしても全く理解できません。

しかし、心が喜ぶことをしていると、明確な理由はないにもかかわらず結果的に上手くいってしまうものです。

明確な理由がないけれど自分の直観や喜びを信じられるかどうかが、豊かな人生を歩んでいけるかどうかの分かれ道となります。

直観や喜びの道は、平坦ではないかもしれません。

平坦ではない分、喜びが大きかったりするものです。

平坦で整った道は歩いていて楽かもしれませんが、楽しくはないかもしれません。

見通しの悪い道を歩いていく方が、冒険している感じがあって楽しく感じたりすることもあるでしょう。

あるいは、適度に起伏のある整った道を、ハイキングをするように歩いていくのが楽しいと感じるかもしれません。

いずれにしても、自分が楽しいと思える道を選んで歩いていけば、楽しいと感じるのは当然のことです。

もちろん、平坦な道でも喜びや楽しさがあるのであれば、何も問題はありません。

むしろ、平坦な道の中で、喜びや楽しさを見つけることの方が能力としては高度だったりします。

変わり映えのない毎日を、日々新鮮な気持ちで生きていけるようになるということは、とても高度な技術なのです。

いずれにせよ、どんな道を歩くにしても、そこに「心が喜ぶ何か」がないと、楽しんで生きていくことは難しいといえるでしょう。

我々のDNAには、何をすれば自分が喜ぶか書き込まれているといいます。

運動が好きな人には、身体を動かすことで喜びを感じるDNAが存在しています。

手先が器用で物づくりに楽しさを感じる人には、何かを作って生み出すという喜びがDNAの中に存在しているといえます。

楽しいと感じることが自分のDNAの中に組み込まれていということは、見方によっては、それをするためにこの世に生を受けていると考えることもできます。

であるならば、楽しいと感じることを楽しんで生きるのが、ベストの選択といえるでしょう。

喜びという理由を超えた理由を原因にして生きていけば、自分らしく生きていけるようになるものです。

もちろん、喜びと感じることは変化することもあります。

なので、ひとつのことを一生をかけてしなければならないということではありません。

むしろ、その時々で喜びと感じることをしていたほうが、自分の心を喜ばせ続けることができます。

それまで楽しんでできたことに楽しさを感じなくなったりするということは、次のステージに移行するための合図だったりもします。

一つのことだけに限らず、心が喜ぶことであれば同時進行でやっていっても構いません。

やり方は様々だし、人それぞれです。

大切なのは「今、自分の心が何に喜びを感じているか」ということを理解し、それを実践していくことです。

「心が喜ぶ」ことをし続けることで、自分を輝かせることができます。

そこで自分の心が喜ぶことを選択する。

こういった考えを、生き方の姿勢の一つとして取り入れてみてもいいかもしれません。

自分の心が喜ぶことを選択して生きれば、「自分が喜び、周りの人も喜んでくれるようになり、世の中のためになる」という「三方よし」で生きていけるようになります。

自分の喜びは、必ず他者の喜びになり役立つものです。

そうやって自分を活かしていけば、人生はどんどん前に進んでいくことでしょう。

「心が喜ぶことを選べば上手くいく」そう思って生きられるようになると、やがて本来の自分自身に還っていけるようになるのです。




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