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第54回:「喜び」とは創造だ!!

今日は、「喜び」とは、創造だ‼ ということを書いていきます。

人は、何か「喜び」を感じたりすると、それを「表現」したくなります。「表現」とは「創造」でもあるため、「喜び」が「創造」の原因となるといっていいでしょう。

もちろん、一過性の「喜び」だけでは「創造」にはなりません。何度も何度も「楽しい」という体験を繰り返していくことで、それが「創造」となっていきます。

私たちがなぜ「創造」をしたくなるかというと、私たちが「進化」していくためだと思います。きっと、私たちの本能や習性の中に「喜び」を「創造」に繋げていくことで「進化」を果たすといった仕組みが組み込まれているのだと思います。

この「喜び」から「進化」までの道のりを表すと次のようなカタチになると思います。

「楽しい」→「反復」→「喜び」→「創造」→「伝達」→「伝播」→「般化」→「進化」

こういった流れが私たちの本能に組み込まれているからこそ、私たちは「進化」していくことが可能になるといっていいでしょう。

「楽しい」と感じることは「反復」させる力となります。楽しさの反復は、「喜び」といっていいでしょう。さらにその喜びを反復させていくと、ひとつのカタチが「創造」されていきます。

するとその創造されたものを人に伝えたくなります、なぜなら「創造」されたもの中には、誰もが共有できるような「便利さ」や「美しさ」、「美味しさ」、「楽しさ」が存在するからです。

そして、こういった「便利さ」や「美しさ」、「美味しさ」、「楽しさ」を「伝えたい」という思いが生まれた結果、それが「伝播」していき「般化」していくことで、人は「進化」していくことでしょう。

スマホから見る「喜び」のカタチ

現在では誰もがスマホを持っていますが、スマホが出た当初、これほどまでに一般化するとは誰も思わなかったと思います。

しかし、このスマホには「便利さ」と「美しさ」と「楽しさ」の要素が含まれているため、だからこそスマホが一般化したのだと思います。

また、私たちは、スマホを手にし、使いこなせるようになったことで、人類としての「進化」を遂げたといっていいでしょう。なぜなら「スマホ」のない世界に、私たちはもう戻れないからです。

そして、私たちの進化の原点となったのが、スティーブ・ジョブスという一人の人間です。

私は、本当に好きな物事しか続けられないと確信している。
何が好きなのかを探しなさい。
あなたの仕事にも、恋人にも。

スティーブ・ジョブス

これは、スマホ(iphone)の発明者でもあるスティーブ・ジョブスの言葉です。

このスティーブ・ジョブスの言葉にあるように、彼や彼をはじめとするアップル社の人たちが、好きなことを追求していった結果がiphoneなのだと思います。

iphoneが生まれた原因は「好きなこと」を続けたことの結果です。「好きなこと」とは「楽しいこと」と同じ意味です。つまり、少数の人たちが「楽しい」ことを続けた結果によって、私たち人類が進化したことになります。

「楽しい」ことを続けていると、あるひとつの法則性を見つけることができるようになっていきます。この法則性とは、先ほどの例にも挙げた「便利さ」や「美しさ」、「美味しさ」、「楽しさ」といった誰にでも汎用出来る物事です。

こういった汎用性の高いものは、他者に伝えたいと思うものが自然であり、口コミによって広まっていくのも自然なことです。このように自然と広がっていくようなことは、他者から必要とされているということでもあるため、結果としてそれが仕事になっていくものです。

こういったことから、「楽しい」と感じてしていることを続けていると、「便利さ」や「美しさ」、「美味しさ」、「楽しさ」といった誰にでも汎用出来る物事を見つけることができ、それが仕事になっていくのは当然のことだったりします。

もちろん、こういったことは何もすべての人に汎用できる物でなくてもよく、ある一定数の人から共感して貰えるだけで十分だったりします。

スマホには「便利さ」や「美しさ」、「楽しさ」の3つの要素があったため世界に広まりましたが、たとえば「美味しさ」だけでも汎用性が高いため、ある地域で、その「美味しさ」がお店となって繫栄していく原因となっていくこともあるでしょう。

また、場合によっては、その「美味しさ」が、地域の名物になり、それが一つの文化となって、その地域を発展させることもあるでしょう。

いずれにせよ、人が何かを「楽しい」と思って続けていくと、そこに「何かしら」の「法則性」を生み出すことになり、それが一つの「創造」となって、それが「伝播」していくことになります。

「法則性」とは、「便利さ」や「美しさ」、「美味しさ」、「楽しさ」といったものであり汎用性の高いものです。

そう考えると、「創造」とは多くの人が共感できるような「法則性」を見つけることなのかもしれません。

「創造」とは「法則性」を見つけること

ある一人の人がひとつの法則性を発見できるようになると、周りの人がそれを使って便利に暮らせるようになったり、生活の中での効率化が図れるようになります。また、その法則性が生活の中の楽しさを生んだりします。

例えば、漫才やコントといった「笑い」にも、人がつい笑ってしまうという法則性が存在するし、美味しいと感じる料理の中にもその作り方に法則性があるはずです。PCは計算の法則性を集めた物であり、私たちの生活の効率化を図ってくれていたりします。

つまり、何かしらの法則性を見つけ、それをたくさんの人に役立てられるようになると、それが「創造」になるのです。そして、そうやって「創造」されたものが、広まっていくことで私たち人類が進化していくことができるのです。

私たちが日々楽しいと感じてしていることをしていると、必ず何かしらの「法則性」を生み出すことができるようになるため、それが「創造」となって世の中を変えていく力になっていといっていいでしょう。

日々している料理でも、それを食べた家族が喜んでくれたなら、そこには「美味しい」を生み出した「法則性」が存在していることであり、その「法則性」は「創造」といってもいいのです。

「喜び」とは他者と共有できること

「私」という個人が何かに「喜び」を感じたら、それは他者も「喜び」を感じることといっていいでしょう。

私たちは人として共通の感覚を持っていることから、ある人が「楽しい」と感じることは、必ず他の人も「楽しい」と感じるものなのです。

もちろん、そういった「楽しさ」は万人が感じることではないかもしれませんが、少なくともある一定数が存在すると考えられます。こういったことから、私たちが「嬉しい」と感じることは、何かしらの形で汎用できるものと考えられます。

つまり、私たちが「嬉しい」「楽しい」と感じることは、その内容がどんなことであれ、それは他者と共有できるものといえるのです。

そして、私たちが「喜び」と感じることを伝播させてくことで、人類が豊かにしていくといっていいでしょう。

こういったことから、「喜び」と感じることを「伝播」させていくことは、ひとつの「仕事」になるわけであり、この「喜び」を「伝える」ということは、そこに自分の存在意義を見出すことだけでなく、それを自分の役割にすることで、他者へと貢献することもできるようになっていきます。

元来、「仕事」とはこういった「喜び」を伝播させていくことで生まれたのだと思います。というのも「喜び」には、多く人が「喜び」と感じる何かしらの法則性が存在しているからであり、その法則性とは、「便利さ」や「美しさ」、「美味しさ」、「楽しさ」という汎用性の高いものだからです。

そういった意味でも、私たちは「喜び」と感じることを仕事にすることが自然なカタチなのだといっていいでしょう。

「喜び」を選んで生きることの大切さ

私たちが「喜び」と感じることを仕事にすることが、自然な生き方といっていいでしょう。であるならば、何も辛いと思うこと、楽しくないと感じることを仕事にする必要はありません。

私たちは、自分が「喜び」と感じることを見つけることができれば、それを使って生きていけるような仕組みを作って行くことができるようになるのです。

その理由は私たちのDNAの中に「楽しい」→「反復」→「喜び」→「創造」→「伝達」→「伝播」→「般化」→「進化」という流れが組み込まれているからと考えられるからであり、「喜び」と感じたことを何かしらの形で「伝達」できるようになると、それが仕事になっていのが必然だといっていいでしょう。

また「伝達」は他者がしてくれる場合もあるので、シンプルに自分が楽しいと感じることをしているだけで、それが「仕事」となっていく場合もあるでしょう。

いずれにせよ、普段から「喜び」を選んで生き、それを表現し続けると、結果的に、それが「創造」になって他者へ伝わって影響を与え、何かしらの形で人を進化へと導くことになることでしょう。

このことが「喜び」とは「創造」だ‼ の意味になります。



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