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迷路を道に変えるには

前回、「いまここ」を生きれば幸せになるという記事の中で、次のようなことを書いた。

「幸せ」とは迷いのない状態を生み出すことであり、「幸せ」は今この瞬間を生きることで生み出すことができる。

迷いとは、いわば出口を見つけられない迷路の中にはまり込んでいるようなものであり、苛立ちと落胆の中で過ごしているような状態だといってもいいかもしれない。

その一方で、迷いのない状態になるということは、自分が今何をすればいいかを理解しているという状態であり、そういった明確さが人を前に進ませるようになる。

しかも、自分が何をすればいいかが明確になっている状態の中での間違いは間違いではないし、そういった中での迷いは迷いにはならない。

自分が何をすればいいかを理解した中での間違いや迷いは、いってみれば誤差を修正するための気づきになるものであり、自分を前に進ませるための力となって、自分を成長させるチャンスとなる。

いずれにせよ、人は簡単に迷路に入り込むようになっている。

だから、迷って当然なのだ。

人生とは、そもそもが迷路のようなものである。

我々は、人生という迷路をいかに脱していくかというゲームをしているのに過ぎない。

では、どうすれば人生という迷路から脱することができるのか。

その答えは、「いまここ」を生きることにあるといっていいだろう。

なぜかというと、迷路は落ち着いて冷静さを持って、目の前のことを一つひとつ丁寧に行っていくことで抜け出せるようになるからだ。

今この瞬間を丁寧に過ごしていけば、必ず迷路を抜け出すヒントを見つけ出せるようになるものであり、この今を生き続けることで見つけることができるようになる。

今を生き続けるとは、自分と向き合い続けるということであり、今この瞬間に、自分との関係を良好に保つことができれば、迷路から抜け出すことができるようになるだろう。

自分自身と良好な関係を保てば、何をすればいいかが分かるのは自然なこと。

それが分かれば迷路の中にいることさえ楽しめるようになっていく。

「いまここ」は、自分の心に正直になることで味わうことができる。

自分の心に正直にならないかぎり、今を味わって生きることができない。

だからこそ、迷いが生じたときは自分の心の声を聞いて冷静さを保ち、人生という迷路を抜け出すための対策を練っていかなければならない。

迷路を抜け出すには体力が必要になるものだから、身体を休ませたり、心を休ませたりすることも大切なこと。

心から休息できているとき、「いまここ」を味わうことができる。

完全なる休息は、今生きているということを実感させてくれる。

迷路は、焦れば焦るほど道を分からなくさせるものであるから、まずは心と身体を整えることが迷路を抜け出すための最初の方法となる。

焦りとは、気持ちが「いまここ」にない状態であり、気持ちが空回りしている状態でもある。

そういった状態で前に進めば進むほど、人はますます迷路にはまってしまう。

しかし、「いまここ」に冷静になって、今を生きられるようになれば自ずと道が見えてくるもの。

「いまここ」に冷静になって、自分という存在を丸ごと受け入れたなら、そこから自然な感情が湧き上がってくるものであり、そういった自然な感情が自分を開く道となる。

自然な感情とは、内側からの声だ。

人生の迷路は外側にあり、自分の内側に焦点を当てるとその迷路は消える。

自分の内側に焦点を当てるということは、自分自身と良好な関係を結ぶこと。

自分の内側に焦点を当てることができたとき、自他の差異を明確に知ることができるようになる。

人生という迷路とは、いってみれば自分に気づくというゲームであり、自分に気づけるように外側に自分とは異なるものを配置する。

そういった設定をした上で、我々は人生というゲームをしているといっていい。

だから、まずは内側から。

内側が整えば、自ずと外側が整うようになる。

どんなときでも、すべきことは「いまここ」を生きられるよう自分を整えることであり、自分を整えることができきたなら、迷路から脱出できるようになる。

今という瞬間を、自分を丁寧に扱っていけば、迷いをなくすことができるようになって人生という迷路から脱することができるようになっていく。

迷いをなくし「いまここ」を夢中になって過ごすことができれば、ナチュラルな自分になることができる。

自分を知って自分にくつろげば、迷路は消えてなくなっていく。

自分にくつろぎ、今にくつろげば、自然と道が開かれていく。

自分自身にくつろげば、今を今として生きられるようになる。

これを「無為自然」という。

無為の中から、意志が湧き上がる。

有為を失くして、無為になるからこそ今を生きるという意志が浮かび上がる。

自分自身を丸ごと受け入れて、すべてを手放し何もかも忘却してくつろぐとき、人は無為となる。

そういった無為の状態になったとき、人は自分の人生を発芽させることができるようになる。

いい意味で、開き直る。

外側にある様々な観念を手放すことで無為となる。

無為になるとは、自分とひとつとなるということであり、今とひとつになるということだ。

自分と今を等しく結ぶとき、道ができる。

だから、まずは自分が今持っている負荷を手放し、余計な意図をも手放して、空っぽの状態になってみる。

そうやって空っぽになって純粋に今を感じられれば、今を生きられるようになっていく。

道とは、今を生きることであり、今を十分に生きることが無為の道となる。

そうやって迷路を道に変えることができたとき、人は自然の力を利用しながら生きられるようになっていく。

道とは、迷うことのない道を表す。

道の先には、迷路のような壁は存在しない。

いまこの瞬間を自分にくつろげるようにななれば、道を遮る壁が消え迷路が道に変わる。

いまここにくつろいで、「空(くう)」となり、今とひとつとなって生きる。

今という瞬間の中に、心地よさを見つけ出すことができれば、あとは流れに身を委ねてけばいい。

ただ、今という目の前の道を楽しんで歩んでいけばいいたけになる。

迷いが、自分を知るチャンスとなり、今を知るきっかけとなる。

自分を知って今を生きられるようになるとき、迷路が道に変わることだろう。


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