12)すべての願いは叶えられている
先日、見た夢の中で「すべての願いは叶えられている」というような言葉が出てきて、この言葉が印象的で心に響いたことから、それ以降、就寝時にはこの言葉を唱えながら寝るようにしている。
すると、不思議なもので、この言葉を何度も繰り返して入眠すると、朝起きたときもこの言葉が浮かんでくることがある。
詳しいことは、なんともいえないけれど寝る前に同じ言葉を心の中で唱えて寝ると、睡眠中も寝る前の意識を保てるような気がしたりする。
寝る前の意識は大事であり、潜在意識の書き換えをするためには、いい気分で寝るということが大事であるということは知っていたが、今回、こういった経験をすることで、その効果を実感できたような気がする。
また、こういった潜在意識への効果だけに限らず、「すべての願いは叶えられている」という言葉そのものが、とてもいい言葉だとも思っていたりもする。
といのも、この言葉を唱えていると、まだ叶っていないことでもあるのにもかかわらず、実際に未来にそれが叶っているだろうという気になれることから、不思議と安心感を得られるようになるからだ。
もちろん、この言葉を唱えているからといって、僕が今思っている願いが実際に叶うかどうかは分からない。
しかし、そういった将来にそれが起こるかどうかよりも、この言葉によって得られる安心感の方が大きいような気がするのだ。
人は安心感を持って生きられるようになると、焦る気持ちを手放せるようになる。
焦る気持ちを手放せるようになると、日常の生活を余裕を持って過ごせるようになる。
余裕を持って生活できるようになると、ものごとの精度が上がっていく。
すると、何をするにしてもいい結果を得られるようになっていく。
さらに、余裕を持って生活するということはリラックスして生活するということでもあり、そのリラックスによって新たな「ひらめき」が生まれてくるようになる。
新たな「ひらめき」は新しい発見に繋がっていくため、今していることに新たな息吹を加えることになる。
そして、この新たな息吹が「私」という個人の可能性を広げることになるだろう。
そうやって考えていくと、私が今、願っているようなことも叶ってしまうような気がしてくる。
つまり、「すべての願いは叶えられている」と唱えながら寝るだけで、実は人生そのものが上手くいってしまうかもしれないと思えてきたりするものなのだ。
よく「ありがとう」といった言葉を唱えるといいといわれるが、その効果は、こういった精神の安定にあるように思う。
逆に、「ありがとう」と唱えることで何かを得ようとすると、それは上手くいかないような気もする。
なぜかというと、「何かを得よう」とする意識の中には「それを得られない」という側面も含まれるからだ。
そういった意味では、何かの言葉を唱えるのは、精神の安定のために行った方がいいと思ったりする。
とはいえ、これはあくまでも僕の見解であり、他の人が実際にどのような思いで言葉を唱え、どのような効果を得たのかは正直よくわからない。
こういったアファメーションの効果は人それぞれにあるのだろうけれど、その因果関係については、正直いうと、その人にしか分かり得ないといっていい。
もちろん、僕自身も「すべての願いは叶えられている」という言葉を唱えて寝るようになったのは、たった数日のことなので、今後、どういった結果を得られるかは皆目わからない。
しかし、個人的見解でいうなら、この言葉は、僕という存在に「安心感」を与えてくれていることに間違いはないようだ。
形はどうであれ、「安心感」を得られるようになることは、人生を有意義にするためには欠かすことができないだろう。
「心配」の意識は、落ち着きをなくさせるものだ。
「落ち着きのなさ」は、生き方の精度を下げることになるため、無駄を生むことが多くなる。
こういった無駄の多さは、生き方を遠回りさせるものだ。
であるならば、急がば周れの精神で、どんなことも落ち着いて取り組んだ方がいいということになる。
そこでもし、この記事を読んだ方の中で、今落ち着きのなさを感じているようなのであれば、試しに「すべての願いは叶えられている」という言葉を唱えてみてもいいかと思います。
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