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人は零に還るゲームをしている

人は誰もが平和な気持ちで過ごしたいと思うものです。

この平和な気持ちを図で表すならば、こんな感じでしょうか。



シーソーの中心点は0であり、このゼロポイントに自分をおくことができれば、平和を保つことができます。

しかし、我々の感情は常に波打っていて、シーソーの板が右に傾いたり、左に傾いたりしていたりするものです。

そして、そういったシーソーの傾きを水平の状態に戻そうと努めながら我々は生きているといっていいでしょう。

では、どうすれば波打つ感情を小さくし、シーソーの板の傾きを小さくできるようになるのでしょうか。

それはシンプルに、シーソー板の中心点である0に近づいていけばいいということになります。



感情のふり幅をゼロに近づけていくことができれば、シーソー板の揺れが小さくなって、徐々に平和な気持ちで過ごしていけるようになるものです。

ならば、どうすれば感情のふり幅を小さくし、平和な状態である0地点に近づけていけるようになっていくのか。

たとえば、怒りを感じるような出来事に遭遇したとき、そのまま怒りの感情で返していては、感情の振り幅が大きくなってしまいい、シーソーはギッコンバッタンと大きな揺れを起こしてしまうことになります。

そこで、怒りの感情を覚えることがあったとしても、すぐに反応せずに一旦、心を静めて怒りとは異なった方法で対応すれば、シーソーの揺らぎを小さくすることができます。

別な方法で対応するというのは、考え方を変えるということです。

怒りを怒りで返すのではなく、怒りとは反対の意識を持つことができれば、怒りの感情を中和することができ、ゼロ(平和)の状態に近づけることができます。

では、怒りと反対の意識とは何なのか。

どんな意識を持つことができれば、自分の感情をゼロに近づけていけるようになっていくのか。

それは「理性」と「受容」ということになります。


感情を感情で返すと争いが生まれてしまうものです。

しかし、感情を「理性」と「受容」といった意識で返すことができれば、怒りを治めることができるようになるものです。

自分が怒りを感じていると知って、別な意識を用いることはことは理性を働かせることです。

また、怒りを感じるような相手でさえも受容できるようになると、自分だけでなく相手の気持ちも静めることができます。

怒っている相手に、怒りで返すということは火に油を注ぐことになります。

しかし、冷静に対処し相手のことを、少しでも理解しようと努めると、自分もその相手の心も静まっていくものです。

この「理性」を働かせ相手を「受容」する行為を、「愛」と言い換えることができます。


もちろん、怒りの感情を「理性」や「受容」といった「愛」で返すことは難しいことです。

しかし、これまで生きてきた中で、ついつい怒りを怒りで返してしまい、その結果、上手くいかなかったと省みることができたなら、別なやり方を模索しようとするものです。

冷静になって対処しようと思うようになって、相手を許容してみようという思いが生まれてくるものです。

怒りを怒りで返している状態は、子どもの喧嘩と一緒です。

しかし、怒りを理性と受容の愛の意識を用いることは、大人の行為なのです。

感情を感情で返すのではなく、冷静になって受け止める。

こういった大人の行為ができるようになると、霊性を高めることができます。

「愛」という行為は、たくさんの失敗から気づきを得て、霊性を上げていくことで得られるものなのです。

「愛」「語源」で検索して見ると次のような文章が出てきました。

『愛』は、部首の『心』と『旡(あい)』『夊(夂、すい)』から成り立っている漢字です。 『心』は人の心、『旡』は人が振り返ろうとする気持ちや姿、『夊(夂)』は歩くことを表しています。 つまり、『人が歩きながら後ろを振り返る心情』や『人が振り返りながら歩く』という意味がある漢字なのです。

我々は、様々な経験を通じて「愛」を知る生き物といっていいでしょう。

過去の出来事を振り返り、反省しながら歩いていくことで「愛」の意識を習得できるようになっていくものです。

そして、我々は「愛」の意識を用いて、「平和」を意味するゼロ地点に近づいていけるようになるのです。

我々は、これまでたくさんの経験をしてきました。

おそらく、今の人生だけでなく、いわゆる前世を含めてたくさん苦い経験をしてきたことでしょう。

そういった経験を省みて、愛の意識を使う時代に入ってきているといえるのです。

奇しくも、今の日本の元号は「令和」です。

我々は愛の意識を使ってゼロ地点に戻ろうとしている時代でもあります。



同じことを繰り返して上手くいかないのであれば、手段を変えるしかありません。

今、我々は手段を変える時代に存在しているといってよく、手段を変えることで、平和というゼロ地点に戻ろうとしているのです。

我々の一人ひとりが、零に還ることができたとき、ひとつのゲームを終えることができます。

これまでは、ある特定のごく一部の人が零に還る時代でした。

しかし、令和の時代は、多くの人の力で集合意識を変え、誰もが手を取って零に還る時代であり、そのゼロ地点から新しい世界を生み出していく時期なのです。

平和な心を持った人が増えていけば、シーソー板を水平に保った状態をつくることができます。


令和の時代は、こういったフラットで平和な時代にしていかなければなりません。

我々は今、零に還るゲームの終盤に来ています。

このゲームを無事に終えることができたとき、我々はこれまでとは違った生き方を歩んでいけるようになることでしょう。

誰もが微笑んで喜びの中で生きていけるようにするためには、これまでのことを省みて、理性と受容という愛の意識を持てるようにしていかなければなりません。

そのためにも、冷静になって覚めて生きていく必要があるのです。

リアクションで生きるのではなく、一旦冷静になってお互いに心地よい着地点を探していく。

そういった理性と受容の精神が、平和な令和の時代を生み出すことでしょう。

自分を常に零の状態に近づけていく。

そんな我々の日々の営みが、新しい時代を生み出す力となることでしょう。

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