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#108 終わりに・・・賢治とエミリィは何をしようとしていたのか? その2【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その46】

(続き)

◯ 終わりに・・・賢治とエミリィは何をしようとしていたのか? その2

本文中で登場するエマーソンも、思想体系を学ぼうとしても捉えどころがない印象があります。
例えば、エマーソンをルーツに持つ自己啓発系の思想の代表的な考え方の1つに、「引き寄せの法則」というものがあります。簡単に言うと、強く願いを念じることにより、その実現に必要なものが自ずと引き寄せられるというもので、論理的、科学的には説明しきれません。しかし、この法則が、成功法則として一定の支持を受けていると言うことは、実際に何らかの効果があるかもしれず、現代の量子力学的に考えると、あながち荒唐無稽な発想とも言えないような気さえしてきます。

また、エマーソンの思想の中核にあるのは、「大霊(over soul)」という、哲学とも、信仰とも捉えられないようなものです。この部分については説明困難ですが、賢治や、エミリィの作品の中にも、エマーソン的な「哲学」とも「信仰」とも区分し難い、あえて言えば「宗教的な」要素があるような気がします。そして、賢治やエミリィ作品を読む時に私が感じる「理解のできなさ」の要因の1つはこの部分であるように思われます。

文学的な作品を、論理的に読み解こうとする人は少なくありませんが、いくら論理的に考えても、なぜ「クラムボンがカプカプ笑う」のか?という答えは見つからず、現代的な発想で考えれば、その傾向は強まるのではないでしょうか。

明治・大正期には、そのような非論理的な事象に対し、福来友吉たちは一定の法則性のようなものを与えようとし、清沢らの宗教者たちは、信仰によって救いをもたらそうとしていたように見えます。キリスト者である内村鑑三は、哲学的な思索の人のようなイメージがあるのですが、それでも、「再臨運動」というキリストの復活を信じる運動を起こすなど、一筋縄では理解できない側面を持っています。

論理的に「哲学」的に考える事を一旦手放し、「信仰」の観点で捉えようとしても、さらに非論理的な混乱が待っています。

当時の日本では、本来別の「信仰」を持つと思われる様々な宗教同士が、微妙に相関しあい、時には越境を試みているように見えます。日本を超えてアジアへ越境としていた日蓮主義や、聖書を第一とする一方て、日蓮を世界へ紹介しようとする内村鑑三などです。

そして、賢治もまた、法華経を熱烈に信仰していたと言われながらも、キリスト教や浄土真宗、山岳信仰的な影響も見られ、そのことがまた、賢治作品をめぐる論争の原因となっているようにも思われます。

この点を考える上でヒントと思われるのが、「神仏習合」ではないでしょうか。

日本人の精神性には、江戸時代以前の「神仏習合」が大きな影響を与えたと思われ、神仏分離後の明治期の仏教やキリスト教などの宗教者達も、本来は交わらない立場でありながら、お互いに不思議な親和を見せます。

神仏習合は、日本の元来の信仰対象だった「神様」と、後に大陸から伝来した「仏様」が混じり合い、場合によっては神と仏が同じ施設の中で祀られ、神は仏の仮の姿、逆に、仏は神の仮の姿、などとされる、日本の特徴的な信仰の形と言われます。現実には、もっと様々な要素が混じり合い、今では元々が何であったかもわからない状態となっているものさえあります。

明治維新の「神仏分離」によって、「非論理的」とも言えるそのような形態は破壊されたものの、実際は、明治以降の日本人の精神にも影響を与え、上に登場したような田中、内村、暁烏らの宗教者からも、その余韻が感じられます。賢治からもまた、同様の余韻が感じられるのです。

「銀河鉄道の夜」は、一見するとキリスト教の物語で、しかもカトリック、プロテスタント両方の要素を含んでいるとも言われます。しかし、仏教的な観点から読み解きも可能で、しかも、主人公のジョバンニは、最終的にはそのいずれにも属せず、自分の信仰を探し、一人で地上に帰っていったようにも見えます。

「信仰」を求めて旅する姿は、身体を使って一種の信仰の旅を続ける「修験道」的でもあり、賢治も、自らの身体を使って様々な「現場」に行ったり、「体験」を積むことを重視していたとも言われます。賢治が暮らした花巻近郊の早池峰は修験道の聖地であり、賢治は早池峰を歩いていました。

賢治は「言葉」を、意味を伝える道具としてだけではなく、響きやリズムを持った「体験」「意味以外の何か」など、ある種のマントラ(真言・呪文)的なものとして使っていた可能性もあり、そう考えると、賢治作品が持つ説明困難な魅力というのも、賢治が探し当てた言葉が持つ力のためだとも考えられます。そして、キリスト教や仏教など、既存の宗教を辿りつつも、最終的には、それらを習合した、いわば「賢治教」のようなものを探しあてようとしていたように見えるのです。

(続く)

2023(令和5)年11月25日(土)

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