見出し画像

命のコスパ-2053年の尊厳死- 第8話

尊厳死法の道程

「生命における尊厳を失わないために必要な措置に関する法律」、通称「尊厳死法」。

 この法律を根拠に、いま尊厳死を選択した人々を追いかける本稿だが、成立したのは2043年の国会においてであり、施行から10年が経っている。
 その間の制度利用や、法律そのものについても見てみたい。

 元厚労省官僚から、匿名を条件に話を聞くことができた。そのため、それをもとに考察しレポートする。
 あくまでインタビューベースであり、根拠資料とはなり得ないことを念頭に置いていただきたい。

 始まりは、厚労省が財務省から「歳出削減に資する支出である」というこじつけで予算を引っ張った、のだという。
 歳出削減にどう資するかと言えば、高額な社会保障費を消費する高齢者を漸減させる効果があるからだ、という建付けのようだ。
 それは、換言すれば「老人が死ぬから、養う費用が浮く」ということにほかならない。もっと言えば「老人の延命はコスパが悪いから死ね」と言っているに等しい。
 こんなにも人を馬鹿にした、人を喰ったような話があるだろうか。姥捨山伝説のほうがまだマシだ。

 だが、元官僚はこうも述べた。
「もう社会全体が、耐えられない」と。
 莫大な高齢者向けの社会保障費。医療、生活保護、介護、年金、それらの給付合計額は50兆円を超えていた。社会保障財源のうち、実に47%以上が高齢者のために費やされていたのである。年間の国家予算が120兆円前後であるのに、これで国が運営できる方がおかしいと言えば当然だ。
 もちろん、家計と国家予算は違う。だが、年間50兆円もの公費ともなれば、そしてそれが減り続ける国民からの社会保険料から徴収されるとすれば、それは老人から若者への搾取にほかならない。
 国民の声もそれを後押しした。世間や家族に迷惑をかけるべきでない、という空気は今も支配的だ。
 人に迷惑をかけてはいけない。
 常識のように言われ続けている言葉だ。だが、それがすなわち、人に死を選ばせる土壌となっていることに、どれだけの人が自覚的なのだろう。きっとおそらくは、認識すらしていないのではないだろうか。現に法案はあっさりと可決し、運用されている。
 
 だからもう、国政も建前を前面に立てたのだ。
 実際にこの制度を利用する場合、本人の意思は厳重に確認される。といっても、結局は各種書類へのサインと捺印だ。そしてそれこそがなければ絶対に認められない。逆に言えば、それさえあれば、公的に死ねる権利が手に入る。
 老人殺人だとしても誰も問題視しない。書類が揃ってることが全てだ。

 成り立ちからして鬼子のような法律である。予算を握る財務省の権限が強いのは理解できるが、財政再建にこだわりすぎて盲目的に予算を絞ることに終始している感は否めない。そもそもそんな理由まで引っ張り出さなければ予算が取れないとは、行政サービスを司る省庁としては体制を疑問視せざるを得ない。もっとも、そんな理由まで引っ張り出して予算をもぎ取る厚労省を、手放しで称賛する気にもなれないが。
 他にも後押しには、死者数がピークに達した2039年以降に不足しだした火葬場問題がある。
 現在でも依然解決の目処が立たないが、死者が増えすぎたために、火葬するための焼き場が不足しだしたのがこの頃だ。
 特に人口数が多く、比例して死者の数ももっとも多い東京都は、深刻な状態にある。
 そもそも、全国一の人口密度を誇る東京23区内には、公営火葬場が大田区と江戸川区の2箇所しかない。これに加えて民営が7箇所あるが、到底足りない。2040年には東京都だけで年間約29万人が亡くなった。単純計算でも一日平均で800人近い。火葬炉の合計が106しかないのだから、追いつくはずがないのだ。
 現在ではこれは更に悪化している。東京都の年間死亡者数は2050年には47万人を超えた。一日平均で1300人弱である。こんな数をたった9箇所の火葬場で処理しようとするのは無理なのは、火を見るより明らかだ。
 結局、周辺自治体に遺体を「輸出」して、火葬場利用料を融通する対応が取られている。火葬場の数が増えないからだ。典型的なNIMBY問題である。原子力発電所や火葬場、刑務所などの、必要不可欠ながら新設しようとすると必ず地域住民の強い反対に合う施設は、これだけ問題が顕在化しても国民は理解しようとせず、場当たり的な対処に終止している。

 ともあれ、制度を成り立たせる予算はそうして獲得され、かくして法律は施行された。
 当初の目論見では、利用者の数は少ないだろうと予測されていた。
 当然かも知れない。誰も進んで死のうとはしないだろう、と思うのが人情だ。
 が、予想に反して利用者は、施行から10年の平均で年間10000人を超えた。予想に反して、いや予想以上に「歳出削減に資」したわけである。
 実を言えば、これは厚労省の目論見が甘い。
 なぜなら、高齢者の自殺者数は2020年代から一貫して右肩上がりだからだ。
 もちろん自殺という行為は、突発的に起こることもあり得る。だが、不確実な自殺と、「確実に死ねる」尊厳死法での手段なら、その時が来たときにどちらかを選ぶとすれば――結果は、後者だったのだ。
「適正な措置が行われた確認は、医師による死亡確認書によるものとする」
 条文にはこうある。つまり、行方不明になることもなく、死亡が確認され、後のことは真に考えなくてよいのである。
 しかも、自殺は絶対に痛く苦しいものである。素人がやむにやまれずするのだ。実際に人間は、死のうと思っても簡単には死ねないのかもしれない。
 それが、尊厳死では静かな死が約束される。
 具体的な尊厳死の方法には、バルビツール酸系薬剤が利用される。分類としては「麻薬及び向精神薬取締法」で取り扱われ、厳格に管理はされているものの、薬品としては古典的でしかも安価だ。もともと向精神薬として使用されていたが、作用量と致死量が近く危険で、後発のもっと安全な薬に置換された。だがその反面、安価かつ効果的なため動物の安楽死に一般的に用いられており、日本でも使用されていたのである。
 効果が出るのが早く、十分な量を使用すれば速やかに意識を失うため、痛みは注射するときの痛みくらいである。
 手首を切ったり、首をつったり、高所から落ちたり、睡眠薬をオーバードーズしたり――自殺の方法は様々あるが、これほど確実で、しかも苦しまない方法は一般人には手が届かない。
 苦しまずに死ねる。
 自殺を考えるほど辛く、苦しみ、痛みに苛まれた人にとっては、それはきっと――とても大きな救いなのではないだろうか。

 2053年現在に至っても、尊厳死の利用者は減っていない。

第9話リンク

第1話リンク


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?