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ずるい言葉

10代から知っておきたい、あなたを閉じこめる「ずるい言葉」

という本を読んでいます。

「あなたのためを思って」

この言葉でぴーんとくれば、そうです。それです。

言葉による精神的支配(コントロール)というものについてこの半年ほど考えています。
きっかけとして実際にそれに露骨に接触する機会があったのですが、私が塾で、中学生を通してずっと向き合ってきた悪魔?の正体はこれなんだろうと思っています。

「言葉による精神的支配」は幸運なことに?露骨なものを体験したことで、明確にわかったのですが、実は世の中にありふれています。

・まだ未熟なんだから
・本人に任せています→自由にやったら不機嫌
・もっとちゃんとしなさい→前もって具体的に言わない
・相談しないからいけない→しにくいからしていないだけ
・はっきり言いなさい→言うと不機嫌
・期待していたのに→ごめんなさい、と言う罪悪感がうまれる。期待に沿わなきゃとコントロールされる。


我々の塾業界でいえば、成績や進学実績のために、こういう言葉で若者をコントロールする。残念ですがこれを教育と思っています。保護者の方も、違和感なかったり、むしろ期待していたりします。

だから、学校もそう。
家庭もそう。
会社も、どこでもありますよね。

(そういえばですが、数年前に中1の男子が学校で2時間3者面談をしていたことがあったのですが、その時に担任に向かって「先生は俺たちを操り人形にしたいんですか?」と言い放ったそうです。彼はこの精神的支配と戦っていたんだろうと思います)

「期待している」「目上の言うことは聞くべき(敬うべき)」大人が自分を守るために、自分の言いなりにするために、もしくは自分が気持ち良くなるために、彼ら若者に罪悪感やマイナスの感情を与えていると感じることが多いです。

日本においては特にそうで、親不孝とか、兄弟仲良くとか、和を大切にとか自分を大切にし「にくく」するもっともらしい言葉が溢れている。

道徳も何のための道徳か、社会を上手に成り立たせるためとしても、その根っこには個人の幸福がなければいけないですよね。まさに個人の幸福=集団の幸福。

それに根ざさない道徳はただ、年長者のための道徳。
人が自分らしく生きる、「幸せだなあ」と感じることの障害になっているということをもっと明確にしたいと思っています。


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