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日本人に奴隷にされるな

引きこもり時期に考えていたことがあります。社会サポートを求めてるのに学習支援を断られるのはどうしてなのか?この国に奴隷にされているような気持ちでした。色んな手段を用いて借金することが出来るようになり渡航をすることで言語学習を始められました。

日本では精神障がい者というカテゴリは極めて奴隷のような扱いを受けます。まず生まれてきた時点で幸せを望むことが出来ませんでした。
振り返りを含めてその記録をしていこうと思います。とても重たい内容となります。

親から虐待

当たり前の強要をされる。
出来ないことで殴る蹴るの暴行
そしてダンベルで殴られて入院
家の中で常に敬語で怯えて暮らす日々

10代の頃の記憶です。日本人に生まれたことを心から後悔していた日々が続きました。実家が神社でしたが神棚に何度も願いました。今日、一日だけでもいいので暴力を受けませんように、布団の中で蹴られながら願いましたが叶いませんでした。

猫を殺した日

親からの暴力がひどくなり物を壊したり生き物を殺すようになりました。11歳の時だと記憶しています。子猫を殺しました。

自転車のカゴに子猫を乗せて一緒に遠くに行こうと思いながら嬉しい気持ちを抑えられずにいたのは6月ぐらいの時期でした。公園におろして何か食べ物をあげようと思った時に、自分の手から血が出てることが分かりました。

引っ掻き傷が手の甲に出来て血がたくさん出ていたので、パニックになり近くにあった木の枝で勢いよく子猫を刺して少し離れた井戸に捨てに行きました。

あの時のことを思い出さない日はありません。自分は暴力に支配されて、自分までも暴力でしか表現ができなくなっているんだなと思うことがあります。

暴力に怯える日々

暴力を解決するためには暴力を用いるしかなく周りには信頼ができる大人や人間が存在していませんでした。そのためハンマーを持ち歩くようになりました。父親を何度もハンマーで殴りそれからは暴力を受けなくなりました。

しかし暴言を何度も言われたりするので殺そうかと悩んでもいました。自分の中にある人から傷つけられる恐怖ではなく、人を殺してしまうのではないかという恐怖が苦しくて未だにその気持ちが不安を強くしてしまいます。

幸せを選択できなくなる

この国で幸せを描くことが出来なくなりました。過去に3回結婚のタイミングがあり交際していた人とは本当に結婚するのかもしれないとその当時は思いました。

ああでも本当のこと話せないしさ。
こんな国で幸せになれるはずない。
こいつもクソな日本人だよ騙されるな。

頭の中でそんな言葉が浮かんでは消えて。自分には大きな葛藤がひしめきながら最終的にひどく落ち込みながら連絡を遮断したことを昨日のことのように覚えています。

この国の中で幸せは描けない

渡航するようになり少しずつ体調や気持ちが安定するようになりました。そのため自分の中にある苦しかったことに向き合えるタイミングがようやく見つかった気がしています。

場所に縛られるのは奴隷になることなのかもしれないなと思います。日本社会は他人に足枷をさせるのが好きなんだなと思うことが多くて『ただの言語学習』ですら特別なことのようにして英語を学ぶのにすごく苦労しました。

この国で精神障害者だと扱われるのが嫌なのであれば国を捨てるしかないです。平和に奴隷にされて生きていくのは選択肢としてはありかもしれません。だけどそんな場所に縛られていては苦しさは本質的に解決はしないんだなと私は思います。

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