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雨の降る日は学校に行かない

相沢沙呼氏の連作短編集『雨の降る日は学校に行かない』に収録されている、中学校でいじめの標的にされてしまった主人公、小町の物語です。

協調性ってなんですか。みんなで、わたしのことを無視して、すれ違うたびにくさいって言葉を合わせることですか。教室の雰囲気を盛り上げるってなに。牛乳にまみれた雑巾を頭から被って爆笑されることですか。わたしの気持ちが伝わらないから、だから、みんな、わたしに死ねって言うんですか。わたしが努力していないから、わたしが生きにくい人間だから。

相沢沙呼『雨の降る日は学校に行かない』

協調性とは何か

「お前も協調性を持って、自分の意見を口にする努力をしろ」と担任教師に言われた小町。しかし協調性とは「異なる意見や立場の人と協力して目標を達成する能力」であって、ここに至って協調性が必要なのはどちらかというと、いじめ主犯格且つクラスの中心人物である飯島です。担任教師も、小町のように引っ込み思案な生徒に対しては意見を言う練習や方法を教えなくてはいけないのに、「努力しろ」で終わり。

その後、遂に登校拒否になってしまった主人公、小町の家を訪ねてきた保健室の先生の言葉から抜粋します。

「小町さんは、学校に行けないんじゃないよ。学校に行かないだけ。先生は、そういう生き方があってもいいと思う。本当は勉強をするのに、教室に閉じこもる必要なんてなくて、なにかを学ぶ方法も、人と繋がる方法も、学校の外にはたくさんたくさんあるんだ。どんな生き方を選ぶのも、本当は小町さんの自由なんだよ。学校に行かない生き方もある。それが普通のことなんだ。」

相沢沙呼『雨の降る日は学校に行かない』

「辛かったら逃げたっていい」

TVのタレントやミュージシャンが、口を揃えて発信するこの言葉。確かに優しい言葉だとは思うのですが、そもそもその選択肢を取るほどに追い込まれていること、被害者がその場を追いやられ、加害者が何の罰も受けずにのさばっていることが問題なのでは……。

「わたしっ、悔しいっ、悔しいよっ……!ほんとうはっ、わたしだってっ、わたしだって、学校に行きたい!学校で、友達を作って、普通に勉強したかったっ!普通に、みんなと一緒にいたかったっ!それなのに、どうしてっ、どうして、わたしが、わたしだけがっ……!」

相沢沙呼『雨の降る日は学校に行かない』

被害者達は「普通」が欲しい

みんなと同じ学校に通って、友達と勉強して、部活をして、そんな「普通」に憧れている小町。彼女にとっては辛くても逃げずに「通い続けること」がその希望を繋ぐ唯一の抵抗であり、自分の生きづらさを打ち明けてその場から逃げ出すには、彼女に残った僅かなプライドや希望を一度全て捨てなければならない。そこまで汲んで寄り添える学校や大人がいればなあ…と思う作品でした。

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