見出し画像

ハリウッドが描いてきた歪んだ「トランスジェンダー」像をどう捉えるべきかーー『Disclosure』評

「ラヴァーンを見た後、周りを見回してみたら、また(トランスジェンダー役を当事者の役者が演じる)別の作品が出てきた。“私の知らないところで何が起きてるの?”と思った。“知らないうちに、私たちは差別や偏見を乗り越えていたの?”って」

これは、ドキュメンタリー『Disclosure トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』(以下、『Disclosure』)の作中における、数十年のキャリアを持つ舞台女優のサンドラ・コードウェルの発言だ。

コードウェルの驚きは、米国でトランスジェンダーであることを公にしている俳優・女優が活躍する作品が増えたことへのリアクションだった。

画像1

Disclosure』のプロデューサーでもあり、同作にも登場する、ラヴァーン・コックスが出演した『オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック(以下、OITNB)』(Netflix、2013-2018)放送以降、『トランスペアレント』『Sense8』『ポーズ』など、メジャーな作品でトランス役を当事者の俳優・女優が演じるようになっているのだ。

Disclosure』は英語圏の映像作品におけるトランスジェンダー表象の歴史を振り返るドキュメンタリーである。エンタメ業界に携わるトランス当事者のインタビューと、トランスのキャラクターが登場する映像作品のシーンの引用で構成される。同作を見ると、いかにトランスジェンダーの人々が歪んだ描かれ方をされてきたかを実感させられる。 

「サイコパス」「被害者」繰り返されるステレオタイプ

『サイコ』(1960年)から『殺しのドレス』(1980年)に至るまで、ハリウッドで繰り返し描かれるのは「心を病んだ、危険な変質者」というトランスジェンダー像だ。非営利組織GLAAD(グラード)でディレクターを務めるニック・アダムスは、「数十年にわたってハリウッドは観客にトランスジェンダーにどう反応するべきか教えてきた…(中略)…私たちは怖がられるべきだと、私たちは危険で、サイコパスで、連続殺人鬼だと」と作中で指摘する。

実際に、女優で作家のジェン・リチャーズは、性別移行することを同僚に告げた際に、「つまり、バファロー・ビルってこと?」と返された経験を語る。バファロー・ビルとは、『羊たちの沈黙』(1991)に登場するキャラクターで、女性の肌を剥いで被るために女性を狙う、連続殺人鬼のことである。

近年になると、警察や病院を舞台にした映像作品が「被害者としてのトランスジェンダー」像を広めてきたと同作は指摘する。トランスジェンダーの役者が、殺人事件や病気で亡くなる役を演じさせられるケースが非常に多いというのだ。

頻出する死因は「憎悪犯罪のターゲットにされる」「ホルモン治療の影響で病気にかかる」「出生時の性別に特有のがんにかかる」。あまりポジティブな表象といえないだけでなく、トランスジェンダーの人々を「トランスジェンダーである」こと以上の描き方をしないことが定着していることがわかる。 

画像2

同作の指摘で、個人的にもっともハッとさせられたのは、トランスとしてのアイデンティティを他者に知られた後の、他者からの激しい反応を繰り返し描くことの問題点だ。

キャラクターたちがトランスであることを初めて知らされたことで、周囲の人たちが「裏切られた」「嘘をつかれた」と激高するシーンはハリウッドで何度も描かれてきた。こうしたシーンの問題点を、リチャーズは的確に批判する。

「私たちトランスジェンダーには他人に知らせる義務がある隠し事があり、その隠し事に相手は難色を示すだろうという仮定を強化してしまう。さらに、相手の感情が(トランスジェンダーである)私の気持ちよりも優先される、ということも」

こうした表象の最悪の形が、『クライイング・ゲーム』(1992年)以降他の作品にも広がったとされる「嘔吐のシーン」だ。『クライイング・ゲーム』では、シス男性が恋人がトランス女性であることを知り、トイレに駆け込み嘔吐する。俳優で作家のマイケル・D・コーエンはトランス当事者としてこのシーンを見たときの心境を、作中でこう語っている。

「(画面上で表現されるトランスの人々への)嫌悪感について話をしようとすると、どうしても感情的になってしまいますね。なぜなら、人に嫌われるんじゃないか、気持ち悪がられるんじゃないかってずっと不安に思ってきたから。そうした屈辱を乗り越えてきたはずなのに、奇妙で思いもよらない形で蘇ってきてしまう」  

「トランス役はトランスへ」雇用問題以上の意味

ハリウッド女優のハル・ベリーが批判を受け、新作で演じる予定だったトランス男性役を降板した。多くの人が指摘しているように、この問題を考えるにあたっても『Disclosure』は重要なことを示唆する。

トランス役をトランスへ、といった潮流は、雇用機会の議論から端を発したといえるだろう。トランスであることをオープンにしている俳優や女優がシスジェンダーのキャラクターを演じる機会はほとんどないことに対し、ただでさえ少ないトランスのキャラクターの役をシスジェンダーの俳優や女優が奪ってしまう問題があるのだ。

しかし、作中のリチャーズによれば、トランス役をトランスへ、には雇用機会以上の意味もあるかもしれない。シスジェンダーの俳優がトランス役を演じた後、シス男性として、あるいはシス女性としてインタビューを受けたり、レッドカーペットを歩く姿を見せ続けられた観客はどう考えるか。

トランスジェンダーの人々のジェンダーアイデンティティは虚構だと、彼ら彼女らはただ「男装した女性/女装した男性」だという誤ったメッセージを視聴者に刷り込むのではないか、と指摘しているのだ。

「いなかった」ことにされてきた人々

作中では、トランスの人々、特に有色人種のトランスの人々が歴史上から消されてきた歴史についても触れられる。

米国におけるLGBTQ運動の先駆けとなった「ストーンウォールの反乱」は有色人種のトランス女性、マーシャ・P・ジョンソンやシルビア・リベラらによって始められたが、彼女らトランス女性たちは長らくゲイやレズビアンによる「ゲイ・ライツ・ムーブメント」から排除され、公にもその存在を広く知られていなかった。

そして、コードウェルのように、トランスとしての自らを消さざるを得なかった人々も大勢いたことに留意したい。

冒頭のコードウェルは、『OITNB』以降のトランス表象の後押しを受け、48歳にしてトランスジェンダーであることを公表した。それまで、彼女はトランス女性としては「いなかったことにされていた」のである。

画像3

他にも、女優のアジタ・ウィルソンやモデルのトレイシー・ノーマンなど、コードウェルのようにトランスであることを公にせずに活躍したモデルや俳優がいたこと、そして私たちが知らないだけで、そうした人々がもっとたくさんいたであろうことを同作でラヴァーン・コックスは指摘する。

興味深いのは、この事実は近年保守とリベラルの間の文化闘争の標的にされがちなトランスジェンダーの人々が、すでに私たちと一緒に生きていることを示しているということだ。

日本でもまだまだ「いないことにされている」

日本の映像文化においては、トランスの人々の存在は、米国などに比べてまだまだ「いないことにされている」と言わざるを得ないだろう。画面の中でトランスジェンダーのキャラクターを見ること自体が少なく、トランスジェンダーのキャラクターが登場してもシスジェンダーの俳優や女優が演じていることがほとんどだ。

こうした可視化のされなさは、社会全般のトランスへの関心の薄さと連動しているように思う。それにもかかわらず、特にネットの一部でトランスの人々が文化闘争の標的にされる状況が日本でも起きている。

そんな日本において、私たちが『Disclosure』からもっとも学ぶべきことの一つは「当事者の声を聞こう」ということかもしれない。

Disclosure』では映像業界で活躍するトランス当事者が十人以上登場し、カメラの前で自らの経験を語る。現実からかけ離れた「トランス」像が一人歩きし、当事者を置いてけぼりにした議論がネットで毎日のように行われている今こそ、『Disclosure』が見られるべき大きな理由だろう。

最後に、日本語での当事者の方々の発信に触れて終わりたい。ゆなさんの「すでに隣人である私からすでに隣人であるあなた達へ」は、すべての人に読んでほしい名文である。また、同じくゆなさんによる『Disclosure』評「ドラマ、映画、漫画……トランスジェンダーの語りの政治/映画『トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』」はwezzyで掲載されている。

TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」の特集「トランスジェンダーは日本でどのように表現されてきたのか?~過去、現在、そして」では鈴木みのりさんが日本におけるトランスジェンダー表象を論じている(7月20日放送)。少し古い本だが、トランスジェンダーとフェミニズムの関係を考えるには『トランスジェンダー・フェミニズム』(田中玲/インパクト出版会)が参考になった。

この連休を機にぜひチェックしてみてほしい。

執筆=
写真=上から2番目は映画公式サイトより、残りはUnsplashより

Sisterlee(シスターリー)はMediumへ移転しました。新着情報はツイッターよりご覧ください。 新サイト:https://sisterleemag.medium.com/ ツイッター:https://twitter.com/sisterleemag