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ラッパーが同性愛差別ツイート。日本のヒップホップシーンに“自浄作用”はあるのか

※文中に具体的な同性愛差別への言及があるのでご注意ください。

最近、twitterでラッパーが炎上する事案を目にする機会が増えた。

2018年2月に、テレビ番組「フリースタイルダンジョン」にて、男性ラッパーの呂布カルマが女性ラッパー椿に対し、「俺 お前みたいにメンスのにおいしねぇけど 勘違いすんな」「お前ら女のくせに情けねぇな ☓☓☓のにおいしかしねぇ」などとラップした件や、2020年10月に、男性ラッパーのMC 鬼が、ホモフォビックで攻撃的なツイートを投稿した件は、ヒップホップのコミュニティを超えて広がり、特に多くのフェミニストの目に止まった。

いや、、マジでホモとかクソだと思ってるね。
性の対象が男ってのがありえない。
女を見るように見られてるってのは考えすぎか?なんにしても気持ち悪い。
考えてみろよ、男が男の肛門に陰茎をぶちこむ行為はどうなんだよ。

21:33 2020/10/22 MC 鬼(@kabuki_DOPE)のツイートより(現在は削除)

かくいう私は、フェミニストで、ヒップホップファンだ。フェミニズムの知識を得るより前から国内外のヒップホップが好きだった。

フェミニストとヒップホップファンの両立は難しい。なぜなら、元来ヒップホップというものは、家父長主義を内包したカルチャーだからだ。

差別意識について、内部から声を上げづらい理由

理由1:ヒップホップと差別の親和性

人種的な抑圧と社会経済的略奪を受けた黒人男性によって作られたヒップホップは、マスキュリニティを強調した暴力的な側面を持つ。白人から「劣る存在」として扱われてきた黒人男性たちは、同性からの承認を取り戻すため、「男らしさ」の基準を脅かす「女らしさ」を放棄し有害な男らしさを内包する文化を育んだ(脚注2)。

つまり、「ヒップホップは差別に抵抗する文化だ」というポピュラーな言説における「差別」は、人種差別や貧困格差のみを指しており、最初から女性やゲイに対する差別はカウントされていないのである。

特に90年代に流行した「ギャングスタラップ」にゲイ蔑視は顕著に現れ「faggot」という差別用語が歌詞に多用された。同時代に、日本にヒップホップを紹介したラッパーのZeebraなどが主導しているバトル系ラップ界隈で、未だにマッチョ思考が色濃く残っている理由は、ギャングスタラップ時代の文化を反映しているためだと推測できる。

このような歴史的背景から家父長主義とヒップホップは深く結びついているため、コミュニティ内部から問題意識が生まれにくいのだ。

理由2:「自分の意志を貫く」キャラクター像を壊したくない

これは印象論にすぎないが、内部から声を上げづらい理由として、ラッパーに求められるキャラクター性も挙げられるのではないか。「批判を受けとめて、内省し、考えを改める」という行動パターンは、「馬鹿にされても、自分の意志を信じて成り上がってきた」というラッパーのキャラクターを壊しかねない。

当人は、外部からの批判を「ヘイト」と捉え、「屈しないラッパー像」を貫くために逆張りをしてしまい、周囲もまた、ラッパーとしての営業妨害につながると考え、発言に口を挟みにくい状況が生じているのではないか。

ヒップホップは一枚岩ではない

ここで注意しておかなければならないのは、ヒップホップ/R&Bカルチャーは決して一枚岩ではないことだ。アメリカでは、フランクオーシャンが曲を介して初恋相手が男だとカムアウトし、ビヨンセが支持を表明した。2020年の流行ソングであるCardi Bの「WAP」は「家父長制をぶっ壊せ」アンセムとも言える

その一方で、Cardi Bを野蛮と批判するCeeloo GreenNonameを「諭す」曲を書いた J. Coleなどの言動を見ると、コミュニティ全体として、有害な男らしさの呪縛から解脱しているとは言えない。

同様に、日本のヒップホップ界隈も一枚岩ではない。 

内部から物申しにくい状況をものともせず、Kダブシャインのミソジニックな発言に対してビーフを仕掛けた(*)MC松島のようなラッパーもいる。 また、BLM運動に対するアクションの有無からも、各アーティストの意識の差異が見受けられた。

*ビーフを仕掛ける= 歌詞(リリック)で特定の相手や団体を攻撃すること

さらに、日本のヒップホップが、最早アングラカルチャーとも言い難く、しかしメインストリーム入りはしていない微妙なフェーズに位置していることや、ジャンルや活動が多様であるといった背景から、「日本のヒップホップシーン」などと一緒くたにして語られる際に、内部から反発が起こることなど、特有の事情もある。

こうした「踏まえておくべき事情の多さ」が、ヒップホップに詳しくない人を交えた建設的な議論を試みた時に、齟齬が生じてしまう一因となっている。

それでも外部からの批判に希望を持つ理由

基本的にファンというものは、活動を追う中で自然とアーティストに感情移入をしてしまい、フラットな視点から物事を捉えることが難しい傾向がある。

また、アーティストらが差別したり、軽視している属性(女性やゲイ)が自分には当てはまらないため、他人事として問題を軽く捉え、「ヒップホップ/アーティスト/イベントは昔からそうだから」と思考停止してしまうファンも多いだろう。

しかし、どんなコミュニティにおいても、多角的な立場から議論を行うことは大切である。また、未だに差別が存在する事実を可視化するためには、毎回声を上げていくしか方法はない。そうしないと、差別は存在しないことにされてしまうからだ。

問題を黙認したり、深く考えることを放棄している状況下ではコミュニティは成熟せず、批評に値する面白い音楽も生まれにくいだろう。外部からの批判が、そういった批評や議論をするきっかけを作ってくれるのではないか、と私は期待している。

また、こうした差別に関する議論において、ファンの中に当事者がいる事実は見落とされがちである。ヒップホップを応援しているファンは、異性愛者の男性だけではないことを心に留めて欲しい。女性やゲイもそこにいるのだ。

「差別主義者は年寄りに多く、彼らは自然と消えていく。今の若者は賢い」という意見も見受けられるが、果たしてそうだろうか。マジョリティの沈黙は女性、ゲイ、マイノリティに行われていることを認めるのと同様。沈黙はシステムを動かし続けるものである。

参考文献
1 "Homophobia and Hip-Hop" InfUSion Magazine by Tucker Pennington (2018)
2 "Resistant masculinities in alternative R&B? Understanding Frank Ocean and The Weeknd’s representations of gender" by Frederik D & Sander R(2014)
3 "Masculinity as homophobia: Fear, shame, and silence in the construction of gender identity” by M. S. Kimmel.(1997)

執筆=ゆず
画像=Unsplashより

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