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夜しか

夜しか。

言わずもがな一部の人間は勘づいているかもしれないが、無論ヨルシカから取っている。

ヨルシカ、YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに。の3組を合わせて"夜行(好)性"だなんて括られていたりもするけど、実はヨルシカの由来は曲中の「夜しかもう眠れずに」から取っていて、実はむしろ夜には活動しなかったりするのだ。

夜しか、ヨルシカが好きな私ではあるけど、個人的には夜行性の部類であったりする。

うちの家の朝は早い。

幼少期より、朝早起きして清々しく過ごすことには何度か憧れてきたけど、母が異常に起きるのがはやいせいで早々にその計画は頓挫する。

私の"清々しさ"には一人自分の思索にふけるという意味が含まれている。

だから母が起きて兄妹が学校に行くのに続々と起き始めて私の目に映る日常が忙しくなるのは本意ではない。

夜が好きなのはそういうのもあるのかもしれない。
とさっき思った。

夜行性と言っても、夜友達と遊び回るとかそういうことじゃなくて、一人思索に耽ってたい。

友達と遊ぶのは大好きで、むしろ人がいることで楽しさを感じる人間ではあるのだけど、それがあるから、なんだか漠然としたもっとこうもやもやっとしたものに触れてたいのもそういう人間の側面なのだ。

だから一家共に暮らしている身の私としては、全員が寝静まり、夜の静けさに誰も私に気付かないような、心做しか独りぼっちであるようなこの時間が好きである。

なんだか書きたい文章とか、そういうセンス的な部分が冴えているのも、同様に夜だったりする。

煙草の本数も少し増える。

健康には悪い。

時代遅れの感覚かもしれないけれど、私は夜になり、他に何も見えなくなって灯る玄関灯から煙だけが照らされ、宙に舞っていくその光景が好きである。

それは決して誰に見せる訳でもなく、耳元で鳴る音に閉じこもる自分だけの時間。

これだから辞められない。

深夜3時に呑気に文章を書いている一方で、大学生である私には明日も授業が控えている。しかも1限。

最近はあまりにも遅刻やら欠席やらをするから、そろそろまずいなと思って今後は私がいずれかの1つでもしたらその度にご飯を奢る約束をしてしまった。

だから明日は行かなければならない。

明日になればまたこの気持ちも忘れる。

環境に左右されやすくて、気温に左右されてやすくて、天気に左右されやすい。

明日の私はどんなかな。昨日の私は知る由もない。

天気予報はまだ見てない。





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