見出し画像

40年の時を超えて知ることができたある領事行方

2024年の夏、私は様々な偶然が重なって、1984年以来、ずっと気になっていたある外国人の行方が分かり、感無量の経験をしました。

1984年、まだ東西冷戦の最中、NHKの「21世紀は警告する」という番組がありました。
NHKは、同番組の書籍も出版し、写真はその書籍の最初の巻です。

東西冷戦による祖国喪失

この書籍は同名の番組にそって、シリーズで出版されました。
この本の最初のエピソードは、東西冷戦のよりリトアニアが当時のソビエトの併合され、祖国を喪失しながらも、本国(ソビエト)政府からの領事館閉鎖の
命令を拒否し、ニューヨークの片隅で業務を続けた領事の話が載っています。
当時、ヨーロッパには、ソビエトに併合された祖国から脱出した多くの難民が発生しました。

そこで発行するパスポートは、当然のことですが当時の現実の世界では通用するものではありません。
けれど、難民となって世界に散ったリトアニアの人々は、ここで発行されるパスポートによって、確かな祖国との繋がりを感じていたのです。
当時20代の私は、祖国が消えてしまうアイデンティティ、自身の拠り所を失ってしまう喪失感を確かに感じるには若過ぎました。

ただ悲しく、戦争の残酷さを感じていました。

1989年、東西冷戦は終わりました。
けれど、私はその領事、書籍の記載では、取材時は70歳の領事のその後が、
ずっと気になっていました。
おそらく、この書籍を読まれた方は、同じ思いだったのではと思います。
彼は、この年、すでに80歳になっておられたことが後からわかりました。
ご自分が生きているうちに、東西冷戦が終結しソビエトが崩壊するなど、
夢にも思っていられなかったろうと思います。
それほど長い時間が経っていました。

インターネットの時代が到来して、私は、NHKの書籍で書かれていた彼の名前、「リムティス」をGoogleで調べても、何もヒットしませんでした。
そして、わからないまま、年月が過ぎていきました。

2024年夏、私のFacebookに、どういう繋がりなのかリトアニアの女性から、
友達申請があり、私は何の意識もないまま、その女性と繋がりました。
さすがにその時は、あまりに長い時間か経っていて、
あの領事の国がバルト三国のリトアニアだったのか、エストニアだったのか、
はたまたラトヴィアだったか、記憶が曖昧になっていました。

ある時ふと思い出して、その彼女に拙い英語で、
冷戦中のこんなニューヨークの領事を知らないかと聞いてみました。
そして、私は、ようやくその領事の名前が”Anicetas Simutis”であることを知ることができたのでした。
軽い興奮を覚えながら、私は彼の名前をGoogleの入力しました。

Simutis氏は、その後リトアニアの初代国連大使となれら、
2009年に97歳で他界しておられました。

ささやかな私のこの物語は、まだ少し続きがあって。

この書籍のタイトルをGoogleで検索した時、あるブログがヒットしました。
ブログの彼は、やはりこの外交官のその後に思いを馳せていました。
そこで、ブログのコメント欄に、知り得た情報を書き込んでおいたら、感激のお返事をいただいたのです。
彼は、自分はWikipediaを作る資格があるからということで、外交官アニセタス・シムティス(Anicetas Simutis)についてのWikipediaを作成してくださったのです。

1984年に始まった、心の中にいつもあったリトアニアの外交官のその後は、
遥か40年経って明らかになり、Wikipediaまで出来たことに、私は深い感慨を覚えざるを得ませんでした。
そして何より、まさかリトアニアの方と、偶然にも、ご縁をいただけたなんて…。
これが「引き寄せ」というものなのでしょうか。
私の長い旅路は、ようやく終着点に辿り着いたのでした。

Wikipediaを作ってくださったきっかけとなったブログの記事と
シムティス氏のWikipediaのリンクを、この記事の終わりに貼りますので、
宜しかったら、ご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?