もう卒業しよう

・世の中には、色々なタイミング、
 色々なことで卒業をすることがあると思う。
 それは、程度の軽いものから重いものまで様々。
 自動的に卒業させられることもあれば、
 強制もあるし、
 能動的に卒業をすることもある。

 卒業の判断を能動的にする場合は、パワーが必要だ。
 それはなぜかと言うと、結局判断するから。
 人は何か、判断して決断するときはパワーが必要。

 判断を早くしろと言う話もよく聞くけれど、
 ぼくにはそれは、まあまだできない。
 悩みに悩んだ末、決断して、
 決断した後も悩み続ける。
 そして、時間が立つとあの時の判断に、
 自分の解釈を通じて納得する。
 その解釈は見方によっては、ただ楽観的になるだけだったり、
 言い訳をしているだけなのかもしれない。
 そんなに長い間生きてるわけではないけれど、
 これは、ぼくとしての性質のように思えるようになってきた。
 思いたいのかもしれないけれど、今はそこについては一旦置き。
 これは、ぼくの性質なんだと思う。

覗いていただき、ありがとうございます。
まだまだ、卒業には慣れません。

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