秋風記/太宰治 不真面目感想

「僕には、花一輪をさえ、ほどよく愛することができません。」

この一文に引かれて読むことにした。太宰が「太宰」しすぎていると思って……。それもそのはずで、私がモノローグや告白の類と思っていたこのセリフは太宰劇場の一セリフでしかなかったからだ。だがそこがいい……!

30分もあれば読み終わるような短編小説なのだが、主人公もKも太宰が書く人間という感じがちゃんと出ている。優しくて思い込みが少し強めで頑固なところもあり臆病でもあり、矛盾を抱えて生きているあたりが歪ではあるのだが、人間らしいなと思わされる。

もちろん、考察しがいのある作品でもある。
「役に立たないもの」を挙げる場面で、Kが「向上心」を持ってくるところと漱石「こころ」の繋がりや、最後の「銀の十字架」「青銅の指輪」「水仙の花」など。これらについては、またの機会に考えていこうと思う。

真面目な感想はこの辺にして、 ここからが本題なのだが、正直に言って読了後、ハチャメチャに混乱した。

太宰、読者アンケートでもとったのか?
それかヲタクがほしい太宰を詰め込んだ同人小説が間違って全集に紛れ込んでる???とも思ったけどこんなに文章力があって何よりこの句点の付け方…太宰だ……。

こんなの見せられてさ、水仙の意味とか、十字架と指輪の対比とか言ってる場合じゃないじゃん。こころとの関連なんて後回しだ!

ずっと太宰に書いてほしかったシチュエーションが詰まってる。

「Kの脚だって長いけれど、僕の脚、ほら、ずいぶん長いだろう? できあいのズボンじゃ、だめなんだ。何かにつけて不便な男さ。」

「脚が長すぎてパンツの裾が足りない」なんて太宰に書いてほしいシチュエーションランキング上位常連もいいところ、殿堂入りまであるやつじゃん……。逆になんで今まで読んでなかったんだろう?と思う。この時点で優勝というやつで、太宰作品何が好き?と聞かれたら今度からこれを言おうと決めた。

過去も、明日も、語るまい。ただ、このひとときを、情にみちたひとときを、と沈黙のうちに固く誓約して、私も、Kも旅に出た。家庭の事情を語ってはならぬ。身のくるしさを語ってはならぬ。明日の恐怖を語ってはならぬ。人の思惑を語ってはならぬ。きのうの恥を語ってはならぬ。ただ、このひととき、せめて、このひとときのみ、静謐であれ、と念じながら、ふたり、ひっそりからだを洗った。

「なあんだ、それがKの、よい悪事か。なあんだ。僕はまた、――」
「なに。」
私は決意して、「僕と、一緒に死ぬのかと思った。」
「ああ、」こんどは、Kが笑った。「わるい善行って言葉も、あるわよ。」
浴場のながい階段を、一段、一段、ゆっくりゆっくり上る毎に、よい悪事、わるい善行、よい悪事、わるい善行、よい悪事、わるい善行、……。

なんだこれ。こんな二人がいたら100㎞先まで逃げ出すわ。Kがちゃんと上手く返すあたりがさすが太宰の書く女性という感じがする。弱いところ、後ろめたいところ、そして何よりも核心部分で通じ合っていて、だからこそなのか、この壊れそうな雰囲気が最高だ。
「静謐であれ」も良い。他愛もない会話のようでいて、一つ一つのセリフが本当は物凄い重みを持っている。しかし当人たちはそれに気付いてはいけない……すくなくとも態度に出すべきではないのだろう。
「僕と一緒に死ぬのかと思った」「わるい善行って言葉もあるわよ」って二人とも決して深刻ではなく、むしろ笑ってさえいるのに、本当は主人公の男は「決意して」いるしきっとKも決意して言ってるんだろうな、と分かる。そして、浴場の階段がまるで処刑台のような、そういう踏みしめ方をしている……。

ゆうべのことは、ゆうべのこと。ゆうべのことは、ゆうべのこと。――無理矢理、自分に言いきかせながら、ひろい湯槽をかるく泳ぎまわった。

ここはものすごく共感した。頑張って取り繕おうとしてる、関係がまたもとに戻るよね、戻れるよねって思ってる、思おうとしてるから平静に戻るためにリラックスしてますよって明らかに分かるような行動をしてると思った。あるあるだよな……。

「あなたのまじめさを、あなたのまじめな苦しさを、そんなに皆に見せびらかしたいの?」

K、核心をつきすぎている。このセリフひとつで太宰作品を説明できる……。自分が頑張って作り上げた世界(劇場)を、君は嘘をつくのをとても頑張ってたねと見抜かれて壊されるという構図が最高。人間失格などでも見られるのだが、喪失感と絶望感がたまらん。
このあとに「芸者の美しさがよくなかった」とあるのだが、芸者はただの引き金のひとつであって、99.9%自分のせいだって絶対分かってるのに、それを認めたら本当に壊れてしまうからここでも嘘をつくのかも……と思う。

ここで冒頭に戻らせていただく。

あの、私は、どんな小説を書いたらいいのだろう。

これだけで困り顔(本当に困ってるかは置いといての顔)が想像ついてしまうんだ……。悩んでて迷っててつらくて、ちょっと泣きそうな気弱そうな顔なんだ。悩んだるのも迷ってるのもつらいのも本当だけど、感情を出力しようとすると、客観的に考えたときには少し大げさな表現になってしまうんだよな。

でもここから「生まれて来なければよかった」「(Kは)子供のために生きている それから私のために生きている」って思い上がりでどんどんブチ壊していくのほんとすき。これだから「大げさ」と思われてしまうんだよ……。わかるけど。
「生まれてすみません」精神は常に太宰作品に出てくると思うんだけど、答えが死に直結する「生きてて」ごめんではない。100%自分が悪いというより、そもそもは両親のせいなんですという言い訳の余地がある「生まれて」ごめんを繰り返すのが本当に良いです。
そして自分の奥さんが辛うじて生きてるのはそういう自分のためでもあるんです、いやいや子供のため以上に自分のためまであるよ?(というニュアンスが「それから」ってところに含まれてる気がする)みたいなところ いいよね って話……。

ことしの晩秋、私は、格子縞こうしじまの鳥打帽をまぶかにかぶって、Kを訪れた。口笛を三度すると、Kは、裏木戸をそっとあけて、出て来る。
「いくら?」

しかし現実に戻ると、こう……。

やってんな~~~~~~!!!!!!!!!

もう太宰が書く男だよねってなるそのワンシーンでああ~はじまったよ~~~ってなる。
もはや「お金?」ですらなくて、ましてや「おかえり」とか言われる訳ない。これだけでどんな奴かわかるよね~いいね~~~ほんといいよね……。

そうして、いまはKも、私と同じ様に、「生れて来なければよかった。」と思っている。生れて、十年たたぬうちに、この世の、いちばん美しいものを見てしまった。いつ死んでも、悔いがない。

「この世のいちばん美しいもの」ってなんなんだ。ここ読んで鳥肌立った。

「K、やっぱり怒っているね。ゆうべ、かえるなんて乱暴なこと言ったの、あれ、芝居だよ。僕、――舞台中毒かも知れない。一日にいちど、何か、こう、きざに気取ってみなければ、気がすまないのだ。生きて行けないのだ。いまだって、ここにこうやって坐っていても、死ぬほど気取っているつもりなのだよ。」

結構ガチで言ってるのと勢いとが混じってるだろうけど、決して冗談ではないとわかる。Kに全部本当のこと言われたから…(正確に言うと「帰る」は嘘だけど止めてほしいってこと?)。
Kが役に立たないもの「真実」と挙げてて、でも「まじめな苦しさをみんなに見せびらかしたいの?」は紛れもなく真実なんだよな……。だからこそ主人公の苦しみも辛さも「芝居」を通してしまえば馬鹿馬鹿しいものに格落ちしてしまうのかもな、と思う。コンテンツになってしまうから。ただ、そうでもしないと重すぎるって主人公としては思ってて、そこの差が読者から見れば辛いところでもある。読者としては芝居を通さずに打ち明けたとしてもKは受け入れてくれると思うけど、当事者である主人公としては、受け入れてほしい、受け入れてくれなければ苦しいと言いながらも、心の底では本当にそうしてくれるのか疑う気持ちがあるのかな。

結局少々読解考察を入れてしまった……。個人的には「脚長過ぎてズボンの丈が足りない」ネタが入ってる時点で120点でした。まだ読んでない太宰のヲタクは今すぐ読んでくれ!

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