見出し画像

013 感情の形を味を知りたいよ

感情をいちいち切り取って分解して言語化して噛み砕いて飲み込んで消化していたようなあの頃は、喜びは二倍に、苦しみは三倍に感じられて、確かに苦しかったが言葉だけは多彩だったような気がする。今となっては傷つくことも少なくなったけれど、嬉しいことも浅くなって、更にはそれをよくよく考えもしないから、数日経てば記憶にも残らない。どんな感情だったのか、どんな言葉で表せられるのか、欠片しか思い出せなくて同じような言葉を繰り返してしまう。違う、もっと、きっと相応しい言葉があったはずなのに。もっと傷ついて、もっと感動したはずなのに。それを他者に伝える時、心の底からの感触ではなくて、薄っぺらい良かったと薄っぺらい辛かったになってしまう。この世を生きていく中で、多感であることの痛みに耐えられないと分かって、心を守ろうとしてくれた頭が、神様みたいなのに時々憎い。だから今あの頃のことを思い出しては文にしようとするけれど、きっとあと10年もすればその記憶すら古ぼけて色素の抜けたものになってしまう。多感でいたかったわけじゃない。きっとそのままではこの世を生きてはいけなかった。生きてほしかったんだよな。分かってる。それでもまだもう少し、言葉を選びたい。感情の形を味を知りたいよ。


013 感情の形を味を知りたいよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?