見出し画像

023 あの駅の屋根の色はどのくらい青かっただろう

先月、クラスの真ん中で「あんなに好きになれる人にはもう二度と出逢えない」と泣いていたあの子、今は別の人と付き合っているらしい。「全部好き」なんて惚気ているのを聞いたから、愛や恋は思っているより軽いのだと思った。これは遠い昔の話。

人は忘れてしまうことを知っている。いつか、君がいないことは普通になって君と行ったところや君と見たものを思い出として消化するようになることを知っている。だからあの日の君の一挙手一投足をできるだけ鮮明に繰り返して、思い出さなくても覚えていようとしている。でもさ、本当はあの日を反芻するたびに私の中で悪意なく改竄されているんじゃないかな。どこかちぐはぐなあの日が出来上がって、それでも満足気になぞっているんじゃないかな。だって繋いだ手の指先の硬さや指の細さを覚えていても付けていた指輪の位置はあやふやで、困ったように目を細めて笑う垂れた目尻を覚えていても口の形が朧げで、夏空が嫌に晴れていたことは分かるのにあの駅の屋根の色はどのくらい青かっただろう。ね。もう、確かめられないけどさ。

細胞って毎日作られては捨て去られて5年もすれば全て入れ替わるんだって。だからあの日の君は今の君の中に居ないし、あの日のキスで交わった君の細胞なんか私の中にも残っていないし、もうこの世界に欠片も存在しない。逆も然り。思い出よりも簡単に細胞が消えてしまうなら、私の作り上げたあの日ってなんだろう。ね。もう何物でもないのに、覚えていたいの、なんだろう。

きっと、愛も恋も軽い方が心地よかった。高校生の頃からあの子はそれを知っていたのだと思う。風船と岩なら風船の方が可愛いし子どもにも人気だし片付けも楽ちんで場所も取らない。人はいつか忘れてしまう。細胞はいつも作り替えられる。だけど私の恋はきっと水に沈むほどの質量で、苔むしても永遠みたいな顔であの暑い夏の日に置き去りのままでいる。


023 あの駅の屋根の色はどのくらい青かっただろう

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

68,977件

#忘れられない恋物語

9,083件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?