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5年ほど鬱々と生きていた話
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#うつ

026 死にたいわけじゃないのに死にたい

026 死にたいわけじゃないのに死にたい

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幼い頃から考えてみても、私は自分のことが好きだったわけではない。しかし決して嫌いで嫌いで自分を許せないほどでもなかった。けれどこの自称鬱状態というものになった日からは、私という人間をとにかく否定したい思考に囚われてしまった。少なからず休職という事実がそれを後押ししていた。働かずに給料をもらう。休んで生活する。とんでもない罪に思えた。(それでも休まずにいられたとも思えない

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025 えらいね、僕ら、それでも笑って誤魔化そうとして

025 えらいね、僕ら、それでも笑って誤魔化そうとして

中学生の頃、部活の顧問に「やる気がないなら帰れ」と言われた。確かに地区大会も勝ち上がれないような弱小バレー部だったしバレーボール選手になりたいわけでもなかったからやる気に満ち溢れてはいなかったけど、それでも年に数日しか休みのない部活に毎日出て「今日も怠いね〜」なんて言いながら最終下校チャイムギリギリまで練習するくらいにはやっていたつもりだった。それじゃあ足りないの?

高校生の頃、体育の先生に「意

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006 ホリミヤを見かけるたび面白い気分になる

006 ホリミヤを見かけるたび面白い気分になる

私は頼まれればセックスをするような人間だった。

生理的に受け付けない人を除くという条件だけは辛うじて持ち合わせていたものの、初めましての人でも二度目ましての人でも友人でも、そういう流れになれば簡単に応えた。当時の鬱状態による影響も少なからずあっただろう。とにかく自傷と需要をごちゃ混ぜにして生きていた。毎回、犯罪や暴行等の被害に遭っても仕方がないなと思いながらどうでもいい相手の要求を噛まずに飲んだ

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011 まったくクソほど嫌な思い出だ

011 まったくクソほど嫌な思い出だ

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前回を参照いただきたいが、心が折れてからというものまったくもって立ち直ることができず始終鬱々としていて、あの優しい上司とも直接はおろか電話ですら会話ができなくなってしまった。電話越しに上司からの提案をとにかく無言で聞いては一番最後に「はい」とだけ返す簡単な作業を数日繰り返した。そして、今後のこともあるのでという優しい口実で病院に連れて行ってもらうことになった。先生から

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003 サザエさん症候群どころの騒ぎではない

003 サザエさん症候群どころの騒ぎではない

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自分がおかしくなったと認めた日の話をしようと思う。

兆候は感じていた。日に日に足取りは重くなっていて、元から苦手な朝がその頃にはもう大嫌いだった。こんなにも起きられないのは朝が弱いからだと思って夜は早く眠った。仕事が終わればまっすぐ家に帰り、食べたような食べてないような意識の中でおそらくご飯を食べ、最低限の身だしなみとしてさっさとシャワーを浴びたらすぐに眠った。当時も

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002 鬱病と言うには軽く、憂鬱と言うには重たかった

002 鬱病と言うには軽く、憂鬱と言うには重たかった

少し前、少しと言っても「まあそうですね」と曖昧にはっきり診断された日はもう5年も前になるのだが、ああやっと終わったようだと思えたのは去年のことだったので少し前とさせていただくとして、少し前まで私は鬱状態だった。

鬱病と言うには軽く、憂鬱と言うには重たかった。なので勝手に鬱状態と呼んでいる。医学的に言えばより的確な用語があるのかもしれないし、鬱状態にも正確には別の意味があるのかもしれないが、私は医

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