深夜ラジオをリアタイで聴くのがやめられない
深夜ラジオをリアルタイムで聴く事をやめられない。
元々、高校生の頃から深夜ラジオは聞いていたものの、
週に複数回も聞いたり、朝5時近くまで聞いたりする事はほぼなかった。
しかし3年前にコロナ禍が始まり、オンライン化になった事で、
夜更かしがすっかり定着したと同時に、
深夜ラジオをリアタイ(リアルタイム)で聴く事もすっかり日常的になった。
「次の日が学校だから、朝早く起きないといけない。」
という、深夜ラジオのリアタイ視聴を邪魔していた1つの想いが、
オンライン化に伴い、姿を消す事が増えた。
これにより私は、深夜ラジオをリアタイで聴く事の楽しさ、幸福感を知ってしまった。
生活音や近所を散歩する人の足音や声など、
あらゆる音が消えた静寂の中で、
月の明かり以外は真っ暗な自室のベットの中で、
深夜ラジオならではのパーソナリティの本音トークや、
リスナーのコアでディープなメッセージを聴く楽しさとはなんたるものか。
深夜ラジオをリアタイで聴くリスナーやあえて深夜ラジオが好きという人は、この世の中で日が明るい時間に活動する事が嫌な人、生きづらさを感じたり、感じた事がある人が少し多いような気がする。
これは、リスナーのメールの内容であったり、パーソナリティが話す内容からもなんとなく感じ取れる。
そもそも私は、高校生の時に朝から晩まで学校や塾にいる事や、
毎日朝が来る事が嫌でたまらなくて、逃げたくなっていた時に、
深夜ラジオと出会った。
当時私は、朝から晩まで学校や塾にいる事、朝が来たら起きて活動を始める事という、いわば高校生の義務とされている事に対して過度な抵抗感を抱いたり、出来なかったりしていた。
そこで周りとは何か違う、社会でまっとうに生きれない事に
疎外感を勝手に抱き、漠然と寂しさや虚しさも感じていた。
そんな気持ちを紛らわせるために、たまたま付けたラジオが深夜ラジオだった。
そこでは、昼のラジオでは流れないような、
リスナーからのネガティブだけどユーモアのあるメッセージや、
偏見や言ったら引かれそうな事を赤裸々につづるメッセージが次々と読まれていた。
そして、テレビではただ輝いていて、ニコニコしていて、
ザ・芸能人という感じなのに、深夜ラジオでは、毒を吐いたり、人間味のあるエピソードや1人1人のリスナーのくだらない事から悩み事まで、あらゆるメッセージに親身になって応えるパーソナリティの声が流れていた。
このような、様々な背景を持った人が同じ深夜にリアルタイムでラジオを聴いていて、たわいのない事をリスナー、パーソナリティ共に言っている深夜ラジオを聴いていると、自分は自分のままでいいんだと思えたし、自分のもう1つの居場所のような気がしたのだ。
この気持ちは今も変わらない。
漠然としてはいるが、これが私にとっての深夜ラジオをリアタイする事の幸福感である。
この幸福感を知ってしまったからには、
いくら後日radikoでさかのぼり視聴ができたとしても、
そんな簡単に深夜ラジオのリアタイ視聴を辞める事は出来ない。
そう思いながら今日も深夜ラジオに備える。
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