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不正解でも正解でもない

久しぶりにフルで2日間働いた。
生きた心地がした。

社員として働いていた時のような、胸が詰まるような感覚、吐き気、頭の中がモヤで霞む感覚、集中力の欠如、イライラ感、、、たくさんの精神面からくる体の不調を感じなかった。
とても清々しい2日間だった。

「普通」に働いていたあの時の感覚のようで、うつ病前の感覚が少し戻ったようで安心感があった。

この1年間、教室の隅で丸いまま乾燥しきった黒い雑巾のような存在だった。
いてもいなくても変わらない存在、そんなふうに思っていた。何度も自分の存在を疑いこの世から砂のように散っていく瞬間を望んだ。だけど、そうなる瞬間は1度もやってこなかった。

「今日も生きてしまった」

そんな言葉が頭の中をよぎっていた。

たくさんの人に励まされ、そして時には悪態をつかれた。
自分自身が1番、この世の負け組であることを理解していた。つかれる悪態に言い返すこともできず、ただただ奥歯を噛み締め、眉をひそめ、爪が食い込むほど握りこぶしに怒りを溜めた。

全ての不幸が自分自身に降ってきたような感覚になった。

この不幸から逃げ出せず、抗い続けることでさらに埋まっていく底なし沼にハマったようだった。けれどそんな感覚もいつしか慣れてしまった。
自分に怖いものは何も無い、そう思えるほど24時間毎日を絶望とともに生きた。

「元気そうだよ」

悪気のない言葉が心臓にささり、自身の不幸が伝わらないことに絶望するように体の中を巡る血が一気に加速していく感覚を何度も味わった。
その度に人から離れ暗い部屋でひとり泣くばかりだった。


働いて、誰の手も借りずに生きていきたい。

そう願っていたかつての自分とは正反対の人生を今歩んでいる。

家族がいなくても生きていける。
家族がいなくても生活ができる。
家族がいなくても誰かに相談できる。
家族がいなくても1人でなんでもできる。

1人になることを望んでいた私は、家族なしでは生きていけない人間になってしまった。

食事も睡眠も相談もなんでも、家族がいないと成り立たなくなった。

誰かがいないと生きていけないんだ。
そんな事実が現実世界に広がり、また絶望をした。

何も出来ずに眠りにつくばかりの毎日を過ごしながらそれでも1人で生きていきたいと願った。
うつが酷くなり、そしてまた良くなる、自分でも制御出来ない感情の波に溺れ死ぬこともできずにもがき苦しんだ。
口の中に水がたくさん入ってくる、押し寄せる波に流される体、底につかない足、バタバタともがく私は遠目から見てもとても滑稽だ。
それでも溺れ死ぬことが出来ずに波に揺られる。
不幸に目を付けられもがき苦しむ私は、天から見放されている。
注ぐ太陽の光も痛かった。

不幸にまみれている。

だけど、死なずにいられるのは幸福かもしれない。

誰かが助けてくれるかもしれない。
ただの思い上がりかもしれない。

もがき苦しむ今の自分は幸福への準備段階なのかもしれない。
それとも今が幸福なのか。

分からない。

何が正解か分からない。

何も正解じゃない。

何も、全部、どれも、不正解で、正解は存在しない。


生きるのに正解が存在するなら人類全員が正解を辿るだろう。答えがないのは、全部の生き方が正解だから。
人類の数だけ正解も不正解も存在する。

だったら、不幸ばかりの不正解な今の人生を、幸福なばかりの人生の正解にすればいい。それでも納得できないならまた新しい正解を見つければいい。

人生、答えを見つけ生きていくことが楽しいかもしれない。
不幸にもがくのも自分にしかない正解への道だと思うから。

人生を生きる人が全てもがき苦しまず正解の道を辿って欲しい。少しでも苦しみから解放されて欲しい。

そう願うばかり。





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