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「かわいそう」の重み

人は「良かったね」「かわいそう」「それは辛い」など一言で感想を言うことが多いと思います。

それは相手からの打ち明けが重ければ重いほど。

何故、このようなありったけな一言が出てしまうのかというと、反応の仕方が分からないから。


例えば、片耳が聞こえない子がいるとします。

でも、それを知らない人が聞こえない耳側で話しかけても反応がない。

「どうして全然反応してくれないの?」と聞いたら、片耳が聞こえないことを打ち明けられた。

その時の反応は「あ、そうなんだ。」以外ほとんどの人が出てこないと思う。

そして、心の中では「かわいそう」って思うんじゃないかな?


ある程度の年齢になれば直接「かわいそう」なんていってくる人はいないだろう。

しかし、幼い頃は悪気もなくいってしまうかもしれない。

ただ、この「かわいそう」っていう言葉が一番相手を傷つけているという事を忘れてはいけないと思う。


耳が聞こえない子にとってはそれが当たり前であり、悩んだ時期の当然あるとは思うが受け止めようと努力し「個性だ」として受け入れている。

それを「かわいそう」という言葉を言われることによって"普通じゃないと思われている"と感じ取ってしまう可能性がある。

それはコンプレックスに思っていればいるほど。


だから、「かわいそう」の使う場面をしっかり考えてから使うべきだと思う。


例えば、「洋服破けちゃった」や「白い服にタレをこぼしちゃったんだ」など誰にでも起こり、尚且つ修正可能なことに対しては、「ドンマイ」や「かわいそうに」って言ってもいいと思う。

しかし、体質の事や病気のことなど修正不可能なことに対して上面な「かわいそう」の同情は相手を傷つけてしまう可能性があることをしっかりと理解して発言すべきである。

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