ごろく

大体冗談。

ごろく

大体冗談。

最近の記事

2‐1地元に帰りて愚痴を言う

落語はじじぃばばぁが聞くもの」という先入観が根強い。 これはとても自然なことで、落語というのはそういう構造を持った芸能である。 最近はコントなどにも多く用いられる手法だが、落語を聴いていくと、そこには喜怒哀楽だけに収まらない多くの感情がある。 死ぬほど悔しい経験だとか、引くに引けない思いだとか 年を取りながら、多くの経験を重ねないと意図がくみ取りきるのが難しい。 たとえば 「自分の子どもがかわいくて目に入れても痛くない親の気持ち」を子どものいない僕は、分かったようなフリをす

    • 1-4後輩の中山君の話

      16日ぶりの更新である。 前回の近鉄の記事は自分の中でも力が抜けたいい記事だった。 人と会うと意外な人にほめてもらえたのがうれしかったし、 家に帰ってきてボーとしているときには、ベットの横の壁のシミにも「あれはいい記事だったねぇ」とほめてもらえる。素直にうれしい。 忙しい時間を縫って読んでくれる人と、 こちらから話かけても、返事をしてくれることが少ない壁のシミのためにも「noteを更新しなきゃ!」と思っていたが、エネルギーが足りずにパワプロのオートペナントを回し続けていた。

      • 1-3僕と野球と近鉄と

        父親が日本に15人しかいないオリックスファンだった影響が強く、BSの放送がある日にはいつもパ・リーグの中継がながれていた。 僕は幼少期からあまのじゃくだったとみえて、せっかく日本に数少ないオリックスファンの長男として育ったにも関わらず、近鉄ファンになった。 「近鉄好き」を初めて自称したのが4月に近鉄が首位独走した年で、今調べてみると1999年のことである。多分「リーグ1位で、最下位を争うオリックスファンの父親をバカにできるから好き」ぐらいのノリで言っていたのではないかと記憶

        • 1-2「寿限無」の功罪

          おととい初めてnoteをアップした。 想定していた5倍ほどの閲覧数があったので、昔好きだった女の子に5回続けてフラれた話や、僕のイチモツがなんと8本あるという話はしなくてよかった。危なかったー。 僕と落語 中学・高校と僕はお笑いフリークだった。 歴代のM-1のファイナリストを丸暗記しては、自分にうっとりしていた。 進学して、大学にある唯一のお笑いサークルが「落語研究会」だったので迷わずに所属した。 当時のサークルは僕と同じように漫才コントは好き。落語は別に…な人たちの集ま

        2‐1地元に帰りて愚痴を言う

          1-1深夜ラジオの話ー浦島太郎とは何者か

          「noteをはじめる」 「ブログをはじめる」と言うのといまのところは同じ意味だけれども、noteをはじめるというほうがなんだかカッコいいのでそう言うと決めた。 このnoteでは普段僕が考えていることや好きなもののことを書こうと思う。 (別に普段僕が考えていないマンタの生態系の話や、嫌いなシソの話をしてもよいのだがモチベーションも上がらないので。) 深夜ラジオが好きな話 僕が学生のころ、実家のある小田原から2時間かけて通学していた。 大学のあるマサチューセッツ州までの間、東

          1-1深夜ラジオの話ー浦島太郎とは何者か